道 昔、日本の道は世界有数の悪路だった ○ 今でこそ、それなりに道として整備されてきたが、日本は、昔、馬車ではなく牛車だった もし、馬車にしようとしたら、すぐに転倒してしまったであろう ○ 道はアップダウンが多く、細く、でこぼこしていて、雨が降るとすぐぬかるんで、立ち往生する ... 続きをみる
エッセイのブログ記事
エッセイ(ムラゴンブログ全体)-
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古今集の歌に、暦とずれた季節のおもしろさを詠んだ和歌がある。人為的に作られた暦は、季節と、必ずしも一致しないのが通例で、そこにおかしみを見ようとするのだが、なんとも、軽い趣向ではある。 ○ そうして、また、そうではなくて、暦通りの季節の変化を、望んで止まないいくらかの人がいるが、ある強張... 続きをみる
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失恋 世界が閉じる衝撃 ただ これはごくごく当たり前な日常茶飯事の一つ ○ 実業家 現代の実業家の話を聞いていると、この人は実業家と言うより、極め付けの詩人だなと、よく思うことがある。 スティーブ・ジョブズ 本田宗一郎 ○ 批評とは行き止まりの詩である
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批評を批評する愚かさ ○ ただ、小林秀雄については、問題ない。この人は批評家というより、詩人である。 ○ 小林については、ある抜き難い誤解がある。論が跳ぶという誤解である。よく読んでほしい。小林の論考は、すばやく話柄を変えるので、論が跳ぶのではない。理に穴が空いているような、浅... 続きをみる
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ウクライナ情勢 世界はいつもキナ臭い ○ 儒教経典で、五経とは言うが、もう一つ「楽経」という経典があった事が、知られている。この楽経を合わせて六経と言うこともある。楽経とは、音楽によって、民を教化しようとした、とても不思議な経典である。この楽経が見つかれば、世紀の発見になるかも知れぬ。け... 続きをみる
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※シリーズの間が空いてしまいました。 さて、こう書いてきたところで、このシリーズの一番始めに言及した、隠居について、さらに詳しく述べる番が来たように思う。 思うに、隠居というものは、世の中また社会から絶妙な距離を保っている人ではなかろうか。 今、断捨離ということが流行りであるが、隠居は言わば、自ら... 続きをみる
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絵を見るより、絵の前で語る人の方が多い。また、音楽を聴くより、音楽をバックに語る人の方が多い ○ 絵を見て、黙る人は少ない。音楽を聴いて黙する人も稀である。詩を読んで黙る人はもっと少ない。
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方言はおもしろいものである。ある地方は、必ず、その土地に根付いた方言というものを持っている。東京も例外ではないので、べらんめえ調の東京弁は、話す人が少なくなったとは言え、やはり、方言である事に変わりはない。 それで、個性というものが、真似しようがないように、方言も、その通りであって、ある方言を真似... 続きをみる
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どれほど写りの良い鏡であろうと、自分で鏡を覗き過ぎる人は、その姿が歪まざるを得ない。 ○ 宮本武蔵に次のような言葉がある。敵合い如何に遠ざかりたるとも、近くに見る目。敵合い如何に近寄りたるとも、遠くに見る目。如何様なるとも、うらやかに見る目、これ第一也と。 ○ 目そのものになる... 続きをみる
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「道」について、色々と、言ってきたわけだが、「働くということ」についての考察を、やめていたわけではない。 わたしの目指す本題は、現代の資本主義経済の直中にあって、働くということの意味合いを、問いたいというものであった。 ただ、この問いは、直球で攻めていっても、決して、陥落しそうもない問いであること... 続きをみる
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ここで、「道」の本場である東洋思想は、道というものをどのように考えているのかを概観することにしてみたい。 先ず、荻生徂徠によれば、「道」というものは儒教の中で、発見されたものであるという。 古<いにしえ>の聖人たちの創作したもっとも優れたものの一つとして、「道」があったのであり、古来、「生民<しょ... 続きをみる
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「働くということ」と「道」というものついて、相通ずるものがあるかということを、かんがえたいため、ここで、 道ということについての、欧米やイスラーム圏の人々の考え方のあらましや、その大略のところを、整理して、語って行ってみたい。 欧米の人々にとっての「道」とは、直に、聖書の神が指し示した道とかんがえ... 続きをみる
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中国人顔や朝鮮人顔というものはあるが、日本人顔というものはない。これは、専門家の間では、常識になっていることで、日本人は、北方民族や南方民族やら色々な血が混じっていて、顔については、これという特徴を持たない面白い民族である。 中国人顔の平ぺったさや、朝鮮人顔の目の吊り上がりのような、特徴的なものが... 続きをみる
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確か、アメリカだったと記憶しているが、サンタクロースは、居るか居ないかと、小さな女の子が真剣に、新聞社に投書した。その新聞社内では、アウトローであった男が、君の友達は間違っている、見えるものだけを信じてはならないと、真面目に答え、女の子は納得し、その新聞紙上に載った返答が、話題になったという逸話が... 続きをみる
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ここで、「道」の論に入る前に、資本主義について、日頃かんがえていることを、少し、まとめて書いてみたい。 資本主義経済がもたらすものは、豊かさである。豊かさというものは、言わば、生活上の拡大と利便と華やかさであるが、それがいつのまにか、人生上の事柄にまで広がるものだという信仰に近いものがあったのは、... 続きをみる
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阿呆とは、自分を阿呆と認めたがらない人間のことである。 ○ 人間を、バカか賢いかでしか、見たがらない人に出会ったことがある。その人間観の貧寒さは、さて置くとしても、その人は、自分がバカと呼ばれることを、極度に恐れていたものである。 ○ 阿呆は阿呆で、パーフェクトであるし、利口は... 続きをみる
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働くということをかんがえて、「道」というものにまで、言及することになったのは、自分でも意外であった。 やはり、実際、書いてみなければ、出て来ないことばというものがあるようだ。 そこで、思うのは、現代日本に蔓延っている冷笑主義というものがある。わたしは、月刊誌や週刊誌を読む習慣がない。もう、学生時代... 続きをみる
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何のために働くかと、問われると非常に多くの人が、生活のためと応えることだろう。 これは、これで無理のない応え方のようだが、何の為にという、意味を問う問い方ではある。 ここで、その意味するところを、便宜上、二つに分けてかんがえてみたい。 このことは、およそ、生活上の悩みに関することと、人生の意味に関... 続きをみる
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人は未来などを見て行動するのではない。現実のことそのものに当たって行動するのである。 ○ 自壊 詩は壊されたのではない。自らが現代の器たらんとして、自らを壊したのである。 ランボー ○ 日本人的な直感で思う。労働について語り、労働の意義を感じさせないような文章は、読むに堪えない。
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ドストエフスキーの「死の家の記録」の中に、廃船解体を命じられる囚人たちの話がある。労働ということについて、かんがえあぐねていて、どうしても、この話がしたくて、仕方がない気になったので、要約して、引用してみることにしたい。この話は、小説ではあるが、ドストエフスキー自身が、間近で見聞したに相違ない、実... 続きをみる
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現在、日本では、コロナはそれなりの収束を見せている。予断は許さないが、まずは、慶賀なことと喜んでおきたい。 それでなのだが、わたしは実は、マスク生活をしている今の日本の現状を、どうかと思っているところである。 それというのも、ここ2年インフルエンザの流行を見ていない。これは、よくよく考えてみれば、... 続きをみる
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資本主義経済の誕生から間もなく、社会には、大変革が起こり、「資本論」のような、資本主義的な運動に、急ブレーキを掛けようとする新思想が登場することは、皆さん、ご存知の通りである。 ここで、先述した、量の多寡は質の変化をもたらすということばを、つらつらとかんがえてみたい。 金、特に貴金属である金銀が、... 続きをみる
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次に、働くことに直結する、経済学という学問について、かんがえてみたいと思う。 ただ、わたしの場合は、経済学という学問には、素人の知識しか持ち合わせていないこともあり、どうしても、後に不明を恥じ、牽強付会の説を為すかも知れず、予め、そのことについては断って置きたい。素人の怖いもの知らずの論になると思... 続きをみる
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ここで、西洋風の人々の働き方を、見てみたい。聖書には、「人間にとってもっとも喜ばしいことは、大勢の親族が仲良く集まり、酒を酌み交わし、ごちそうを食べることである。」とある。また、「人間の為すべきことは、神のことばひとつひとつによって生きることである。」と。 そして、新約聖書では、職業人が登場するこ... 続きをみる
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次に、語義から見てみたい。はたらくというのは、はた<傍>をらく<楽>にすることであると、言われることがある。これは天理教でいわれている言葉で、教祖の中山みきの一種の天才性を表している解と言って良いと思う。平易な言葉で、働くことの意義を良く表している。 実のところ、わたしは、働くということの意義に関... 続きをみる
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現在、働くということは全き善として、考えられているようである。また、何故、皆が口を揃えたように働く事を、何もしない事よりも良いことと言うのか、わたしは少々、不審に思うのである。 こうした言い方をしてみるというのも、一度、働くということについて、とっくりとかんがえてみたいと思うからである。 少し長い... 続きをみる
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断捨離というものが、流行りだそうである。断捨離とは仏教用語だと思うが、仏教が、世の中のさまざまな関わりを断つことを旨とする教えであることを、思い合わせると、現代の豊かな物質的社会を、人々はどのように感じているのか、色々なかんがえ方をすることができるように思われる。 今の断捨離は、主に物資について言... 続きをみる
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確かな人の確かなことばを聞く、これ以上ためになることはちょっと他にない ○ クラシック音楽の名演は普段聞く音源もクラシックである
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アメリカでは、大豆を使い、油と肉から抽出した特別な液体を混ぜて、代理肉として、販売する企業があり、売り上げも伸びているそうである。 日本では、ベジタリアンというと、ひ弱そうな体格を持った人物を想像しがちだが、ベジタリアンの本家インドでは、そんなひ弱なベジタリアンは一人も居ないという話を、インドに留... 続きをみる
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ご存知の方は、少ないと思うが、フランスにユダヤ系のベルクソンという哲学者がいた。この人はまた、ノーベル文学賞受賞者であるが、その作品の難解性もあってか、あまり知られていない。 フランスの、例えば、サルトルやカミュという人なら、一度でも、その名前を聞いたことのある人は多いと思うが、ともかく一般には、... 続きをみる
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以前のことだが、古今亭志ん生のことが気に掛かり、色々と出ていたCDを買い漁り、聞いてみたことがある。 気に掛かったというのは、高座で寝て、その寝ている姿を見て、見巧者の観客たちが、「志ん生、高座で寝るとは偉え。」と賞め讃えたという伝説の持ち主だからである。 わたしは、志ん生の落語の中では、「井戸茶... 続きをみる
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わたしは、苦手なものは多いが、地理や数学は特に不得手で、例えば、四国などは、四県名は言え、高知くらいならどこかは分かるのだが、後の香川、愛媛、徳島となると、どこがどうだが、途端に怪しくなる。東北の方だともっと疎い。 また、中国に行ったとき、円を元に直す計算が、曖昧になってしまい、ある人に換算数を伝... 続きをみる
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今日、何気なく、ふと仕事場の天井の縁を眺めたら、天井近くに備え付けてある扇風機に、秋風が吹いて、羽根が軽く回っていた。 ああ、面白いと思い、句を捻ってみた。 秋の風天扇ゆるく回しけり と思い付いた。 「天扇」とは、わたしの造語で、「てんせん」と読んで欲しい。天井辺りに備え付けられている扇風機を、そ... 続きをみる
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理念先行型社会 欧州を、代表とかんがえて良いと思うのだが、EUなどでも明らかなように、理念がそれぞれの国家を先導している社会と言える ○ イギリスという現実主義的な国が、EUを離脱したことは、当然なことのように思える ○ 日本人は、ある意味で真面目な国民だが、悪乗りをする国民性... 続きをみる
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ハイブリッド車では、ほとんど、日本製が市場を制したこともあって、ヨーロッパ各国はおもしろくないのであろうか。日本、特に、トヨタに対する風当たりがまったく強い。 CO2による地球温暖化の研究が、ノーベル賞を取り、権威付けられた。ただ、断って置かなければならないのは、どう権威付けられたところで、経済活... 続きをみる
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河合隼雄の「こころの処方箋」は、とてもよく売れた本で、おそらく、わたしのブログを読書登録して頂いている方の、およそ5人に一人は、この本を持っておられるであろうというくらい有名な本である。 その「こころの処方箋」を開くと、巻頭言として、真っ先に、「人の心など分かるはずがない。」ということばが書かれ、... 続きをみる
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去年今年貫く棒のごときもの 虚子 この虚子の句を、初めて読んだときの印象は鮮烈だった。たった十七文字で、どれだけのことが表現できるか、虚子のこの句は、そんな俳句の狭隘さをまるで感じさせないものであるばかりでなく、非常な予見性さえ持っているようにさえ、思われた。 まず、とても抽象性の高い句でありなが... 続きをみる
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昨日、OPECは石油を増産しないことで一致したそうで、日本にとっては痛手だが、OPECには、彼らなりの事情があるのだろう。 そこで、日本には、石油ショックの時の反省もあって、およそ半年分の石油の備蓄があることが、知られている。 メディアは、挙って、先行き不安な石油事情を報道していたが、この備蓄され... 続きをみる
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日本の自然はうつくしい ○ 重層的でありながら繊細 その上に強靱 そうして何よりも調和的 全体は、細部のため、細部は全体のために しかも、まったく作為を感じさせない ○ まるで、モーツァルトの音楽のようである
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憶えておられる方も多いと思うが、ある卒業を控えた一人の高校生が、自分で履修した覚えのない科目が、履修されていることになっている書類を受け取り、「その単位はいらない。」と、大きく、ひとつのNOを、言ってのけたことがあった。 この一人の少年の、たったひとつのNOが、日本中を、騒動の渦に巻き込んだ。マス... 続きをみる
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今でこそ、そうではないが、一昔前は、日本人のことを、エコノミックアニマルだの猿真似だのと、欧米人から、さんざん罵られてきたものである。日本人は、礼儀正しいところを持っているので、新しく台頭して来た、韓国や中国を、そのように罵倒することはないが。欧米人も日本人で飽きたのか、そうした罵倒は両国には控え... 続きをみる
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小説は善意のウソ ○ 人間はギリギリが好きな生き物 ○ 音楽 剥き出しの芸術 今は、録音技術が発達しているから、そんなに感じないが。音楽は、そこに、演奏家が居なければ、とても成立し得ない芸術であった。これほど、時空を共にする、いわば運命共同体のような芸術は、他に、演劇があるのみ... 続きをみる
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ことばの意味 こう言う人が、いたものである。「バカ」と言われるなら良いが、「あほ」と言われたら、切れると。 ちょうど、この二つのことばが反対な人も、わたしは知っているが。 ○ 言葉は、確かに普遍性が高い。だが、誰にでも同じように、その意味が的確に通じることばというものは、(特に、高次の言葉... 続きをみる
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歴史は、人類の巨大な恨みに似ているという言い方があるが、今日の日本人ほど、先の大戦のことを、心底から、憎んでいる国民もいないだろう。 ○ イタリアでは、ムッソリーニの孫娘が選挙に出馬するということで、ニュースになったそうである。もし、ヒトラーに子供が居たらと思うと、ぞっとする。 ... 続きをみる
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国民皆保険の日本が、社会主義国ではないという不思議。だが、こうした政治用語は、単なる言葉に過ぎないと見て、差し支えない。何せ、北朝鮮という国は、名目上、民主主義国家に違いないから。 ○ ゴルトベルグ変奏曲 眠りのための音楽。ただ、グールドのアリアの孤独なつめたさ
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仏教やキリスト教などで描かれる、天国や地獄の有様は、じつにバラエティーに富んだものであるが、コーランに描かれた、天国と地獄の図(特に、カントはその官能的な天国の在り方に、拒否反応を示しているが)は、とてもシンプルで、およそ、この二つの世界のエッセンスを尽くしているように、見えるものである。 ... 続きをみる
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人間は悪夢を見たいとさえ願う、動物である。 ○ 経済学は、時代というものに強く制約される学問である。「見えざる神の手」は、時代に依って、否定されるべき言葉である。 ○ 人間は、いつの時代でも、神を必要とする。人間自身が、神でないからである。
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マルクス 金に真理を見た男 ただ 要するに、金に拘ったのに過ぎないが。 ○ 「資本論」の中の言葉 「蒸気機関や電信の現在、神を信じないのは軽い罪。」 神への不信を、それでも、罪としたのはマルクスが西洋人であるせいだろうか。 ○ 経済学とは、要するに、ご覧の通りという学問ではなかろ... 続きをみる
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甘い言葉には用心 ○ 文学者が持っているのは、言葉である。政治家が持っているのも、ことばである。 ○ 文学者は、ことばのみで完結するが、政治家は、言葉だけで、という訳にはいかない。どうしても、人間としての器量や実力が、問われる世界にいる。与党であるなら、尚更のことである。 ... 続きをみる
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権力闘争というものは、生臭いものである。それが、選挙の形態を取ろうが本質は、変わらない。 人間は政治的動物だと言ったのは、アリストテレスであるが、彼には、権力に群がる人間たちの生々しい欲望というものを、よくよく、感じ取っていたことだろう。 ところで、東洋では、自分は政治などという泥臭いものとは、一... 続きをみる
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ジビエは、元々、フランス語だそうで、狩猟で得られた鳥獣を指す言葉だそうだから、無論、魚類もその中に入るだろうと思うが、ジビエということばは、まったく日本語化してしまっていると思えるので、表題のような言い方をさせてもらった。 いずれも家畜であるが、よく食べられる肉は、何と言っても、鶏、豚、牛であり、... 続きをみる
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今も、同じように説明されてるかも知れないが、以前は、地球を説明するのに、林檎を使って例えられた。 地殻として、様々なプレートが張り巡らされていて、それが、ちょうどリンゴの皮に当たるのだという説明だった。 それで、地球を論ずる科学者に言わせると、地球規模の大きさになると、海というものは、地球の上に、... 続きをみる
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海底に眠っている、新しい資源として、注目され始めているメタンハイドレートだが、わたしは、とても不思議な思いで、この新資源なるものを考えている。 海底にあることは、分かっているのだが、この「燃える氷」は一体どのような、地球環境によって、形成されたものなのか。 石油が、何百万年か前の生物による化石燃料... 続きをみる
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般若心経の漢訳版では、わざと元の言語の発音のまま、漢字に写し、敢えて、訳を示していない箇所がある。 これは、思うに、とても賢い訳し方であって、例えば、コーランに書かれた謎めいたA.L.M風の趣がある。この3字は、まったく解しようがない記号であって、イスラーム圏では、どのような解釈もゆるされていない... 続きをみる
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ドストエフスキーは、読者がおよそどの位の時間で、自分の小説を読むのかを、勘定に入れ、その上で、時間感覚を自分流にねじ曲げて書くという、離れ業をやってのけている。 ○ 武士道は他の思想<これは外来種であっても良い>の、いわば急所となる本質的な部分を、取り入れながら、発展していくという極く稀... 続きをみる
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民主主義については、わたしはごくごく幼い頃から、ある違和感を抱いていた。子どもの頃、兄から「この世の中で、一番偉いのは、誰だ?」と問われ、わたしが一所懸命考えていると、兄は「それは、俺だし、お前だ。」と事もなげに言った。 このやや粗雑な民主主義観は、当時のわたしには、まったく解せなかった。その子ど... 続きをみる
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自民党は、総裁選争いで賑やかな様子で、傍目で見ていても、誰が、総裁選を勝ち抜いて総裁になるのか、興味が尽きないようなところがあるが。 そういうわたしは、昔から、競争というものが、苦手である。わたしには、友人はいるが、ライバルというような人は、いない。わたしはごく小さい頃から、そういう人を作って来な... 続きをみる
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欧米思想、また、その周辺の思想の中で、わたしがもっとも分からないと思うのは、この「裁き」の思想である。 ○ 何故また、人間は死んだ後でさえ、裁かれる必要があるのだろうか。 ○ 人間が、それほど罪深い存在だとするのは、キリスト教を中心とする、聖書を拠り所とする人々に共通する考えに... 続きをみる
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上記の通知を、封筒で受け取った。 以前、このブログでわたしの詩が、ある文芸誌で入選したことを書いたが、それは、この「文芸思潮」の現代詩賞だった。思えば、しっかりした賞だったことに、改めて気付いた次第であった。 どの詩が、入選したかは、わたしの羞恥の念もあり、ここに書くのは保留するが、ともあれ、また... 続きをみる
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時たま、家電量販店に行って、色々見ていると、音響コーナーでCD付きラジカセが並んでいるのを見て、何だか嬉しくなる。 わたしの少年時代は、ラジカセの全盛時代で、とても色々なタイプのラジカセが発売されていたものだった。その頃の、浮き立つような気持ちを思い出すのである。 思えば、カセットテープというのは... 続きをみる
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かなり、以前に御器かぶり<ゴキブリ>について、「御器かぶり考」と題して書いたのだが、読んでみえる人、もしくは覚えてみえる人は、ほとんど居られないだろうとおもい、ある程度重複しても良かろうかとかんがえ、書いてみることにしたい。 まず、ゴキブリの名前であるが、この虫の正式な名称は「御器囓り<ごきかじり... 続きをみる
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最近、わざと、クラシック音楽を聞かずに、過ごしている。 それで、どうということはないのだが、いざ、そんな風にクラシック音楽から離れてみると、頭の中で、クラシック音楽が鳴ると思いきや、ほとんどそうしたことは起こらず、昔よく聞いた、ポップスやフォーク、ロックばかりが、頭を過ぎる。 わたしが愛してやまな... 続きをみる
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アランの幸福論に、こんな言葉がある。「もし、君が金持ちならば、君は幸福になろうとしてはいけない。なにせ、君には金があるのだから。」 アランはフランス人だったから、カトリックの信者であったと記憶しているが、アラン自身は、カトリシズムというものに、ある種の違和感を感じていたことは、その著作の端々から窺... 続きをみる
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確か、ゲーテだったと思うが、佳い作品が生まれるには、ある心の危機が前提として必要なのであると、どこかで言っていたような気がする。 ある文芸同人誌に属していた頃、何人かの人が「どうしても、何も書けない」と嘆いていたことを思いだした。 この人達は、およそ心の危機というものとは、無縁のような幸福感の持ち... 続きをみる
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若気の至りは、まだ可愛げがあるが、年寄りの冷や水は、単なる嫌味である。 ○ 年を取っても、その年の分だけの考え方を持っている人は少ない。「まだまだ、若いもんには、負けん。」これでは、若い者と同じレールの上に乗っているだけである。 ○ 「人間は、成熟がすべてである。」とは、シェイ... 続きをみる
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人間は、自分の得意なところで、失敗するもので、 苦手なことでは、なかなか失敗しないものである。 苦手なことには、勢い、慎重になるから。 ○ 2020東京オリンピックは、やはり、開催して良かったであろう。 少なくとも、日本にとっては。
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ゴッホの絵の色彩は、他の画家と比べて、どこか格別であることは、絵の素人の人から見ても、瞭然であるくらいのものなのだが。 よく注意して見ると、色を躍動させているのではなく、躍動して止まない色を、どう画布に定着させるか。ゴッホの努力は、そこに集中しているように見える。 ゴッホは異常とも言える鋭敏な色彩... 続きをみる
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人が、こよなく憎むのは、人である ○ 人が、こよなく愛するのも、人である ○ たとえ、それがものであろうと動物であろうと、それらは、ものや動物のかたちをした人間に他ならない ○ そうした、こよなく憎まれ、こよなく愛される人間というものを、われわれは追求すべきで、学問のほとん... 続きをみる
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よく、聞かれることであるが、人間は、ナチュラルなものかそれとも、反自然的なものかという問いがある。 ○ 多くの人は、反自然的なものだということに賛成するもののようであるが。だが、これは命題の立て方が、いけないのだろうと思う。 ○ 人間は、自然なものでもなく、反自然なものでもない... 続きをみる
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多くの古典は、生とは何かと問わない その前に、どう生きるかということに焦点を当てる ○ 多くの古典は、死とは何かと問わない 死を得るには、どうしたら良いかと問うているものである
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世界史を見ると暗然たる気持ちになる ○ 日本史を見ると何かしら明るい気持ちにさせられる ○ なにゆえ、メシア一人をああも、輝かせる必要があるのだろうか
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旧約聖書はあら削り ○ 新約聖書は行き過ぎ ○ コーランは中道を目指す ○ わたしの読み方 コーランは旧新聖書よりももっと、論語に似ている。 その信仰のあり方を除いては。
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昔の日本画には、とても繊細で、極細の線が描かれているのが、よく散見でき、日本画の肝と言って良い線なのだが、じつは、この極細の上品な線は、もう描けなくなってしまっていることを、ご存じだろうか? この極細の線は、どのような工程を経て、描かれているかということからお話しすると。 まず、琵琶湖に生息してい... 続きをみる
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詩はことばを従え ことばは形を従え 形は自然に従い 自然はこころと出会い アートを作る ○ 今ここにいるという充実 他の何ものにも替えがたい ○ 過去は思い出すもの 現在は行動するもの 未来は希望するもの ただ 大概の人はこれらをごっちゃにしてしまう
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ゴッホの「ひまわり」は有名だが、有名だからと言って、いつまでも見続けられる絵というものではない。 わたしは、よく思うのだが、自分の家に、ゴッホやピカソなどの、絵のコピーや複製や本物でも構わないのだが、それを、よく、見えるようなところに飾っているような人は、一体、どういう神経の持ち主だろうかと疑って... 続きをみる
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2回手術をして、2回入院した。その2回目の入院のとき、40日間何も食べなかった。その代わり、点滴注射で栄養とカロリーを補給したのだが、食事時の匂いの誘惑には、参ったものだった。 本当に、お茶と水しか口にしなかった。けれども、今思い返すと、40日間点滴のみで過ごせたのは、その点滴注射がじつに優秀であ... 続きをみる
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ときによりすぐれば民の嘆きなり八大龍王あめ止めたまへ 鎌倉右大臣実朝の名歌であるが、最近、大雨による被害が相次いでいるので、引用したくなった。 実朝については、小林秀雄の名評論がある。大戦当時、「無常という事」連作の一つとして書かれた有名な著作である・ 実朝の歌には、異様な暗さがある。この親類に暗... 続きをみる
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抗がん剤治療でガンを小さくして、切除してもらってから、さらに、半年後に、抗がん剤治療が始まった。 入院は一度目の手術の術後が、思わしくなく、2度入院することになったのだが、その2度目の入院のときから、抗がん剤の副作用が、強く出るようになった。 足のしびれは、まるで自分の足ではないよう。それに冷感に... 続きをみる
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モーツァルトを聴くと、自分の耳はこれほど精妙に出来ていたかと、驚くことがしばしばである。 目については、そういうモーツァルトのような意味で、驚かされる画家は、あまり思い浮かばない。北斎のある画や、セザンヌの絵にハッとさせられた思いはあるが、これは、何せ、その画の実物を見ていないこともあり、また、実... 続きをみる
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モーツァルト好きの人については、ある偏向というものがある。モーツァルトが好きな人々が、まず、譲らないこととして、モーツァルトの最大の理解者は、他ならぬこのわたしだという、ある意味で、純粋と言って良いような思いである。 これは、モーツァルト好きには、共通する傾向と言って良く、モーツァルトが好きな人な... 続きをみる
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スマホで、クラシック音楽の、しかも作曲家を選んで聴くことができるアプリがあったので、興味が湧き、モーツァルトならと、一ヶ月500円也で、聴いてみたことがある。 中には、モーツァルトで聴いたこともないような曲が流れてきたりして、それは良かったのだが、どんな編集方針なのか、30分に一度は、あのK626... 続きをみる
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このシリーズは、忘れていたわけではないが、ハイドンのことを書こうと思って、はたと行き詰まってしまい、放置している。 ハイドンについては、あまり思考を重ねているわけでもなく、また、その音楽も、モーツァルトの亜流を出ないのではないかという、わたしの中に根強くある、ハイドンについての偏見に、邪魔されてい... 続きをみる
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忙しい人で、あまり料理に手間を掛けたくないという方は、卵掛けご飯というものを、よく召し上がられるのではないかと思いますが。 この卵掛けご飯に、海苔を加えると完全食になるということを、ご存じでしたか? 栄養の面から見ても、これほど、よくバランズがとれ、また、様々な人々によく食べられる完全食というもの... 続きをみる
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論語は、とても不思議な書物である。孔子が怪力乱神を語らなかったように、鬼面人を驚かすということはまるでなく、ある奇跡的な事跡の記述もない。 この書物が著された、そのこと自体が、何よりの奇跡だとひねって考えてみたところで、論語という書物は、じつに、過不足なく当たり前な顔をしているだけである。 この言... 続きをみる
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聖書中、もっとも哲学的な伝道の書には、人生の喜びとして、自分と血の繋がる親族が大勢集まって、酒を飲み、ごちそうを食べることの他に、生きる上での喜びなど、あろう筈がないという意味のことが、書かれてあったと記憶している。 論語の「学ぶ喜び」というものなどには、まるで、頓着されていないのが、却って、興味... 続きをみる
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野生の哲学 都市生活の直中で、顧みられる自分 ○ 裸心の人 ○ あらゆる意味で、否定される人生であろうが、尚、生きる意志を捨てない
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問題の答えは、極めて簡潔に言えると思う。 東京オリンピック開催は、日本の国家としての威信がかかっている。 IOCがどのようであれ、多の国々の思惑がどうであれ、アメリカのメディアが何と言おうが、答えは上記の通りである。 この上、どのような理由が必要であろうか。
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ファイザーやモデルナ、それとアストラゼネカのワクチン、また、その他、中国製やロシア製のワクチンが、今、世界中で打たれている。 驚くのは、それらの、特にファイザーやモデルナのワクチンの非常な普遍性である。深刻な副反応が起こるのは、100万人中に4,5人だという、とんでもない優秀さである。 子宮頸がん... 続きをみる
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現今、いや現今だけではなく、第二次大戦以降そのままだと思うが、やたらと、精神論はいけない、もっと具体的な技術や科学に依拠した論でなくては、ならないと言うような意見が、いつの間にか、まかり通っている風潮であるが、わたしは、このことにどうしても、ある疑念を抱かざるを得ない。技術や物質に依拠すれば、論は... 続きをみる
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わたしは、少々長い題名をブログ名にしていて、このブログを読む方を、若干戸惑わせているかとも、思っているが、なにせ、わたしは束縛されたり命令されたりするのが大嫌いで、自分のやりたいことを自分勝手にできる、このブログという形式は、とても気に入っている。 二宮尊徳は、本について、こうしたことを言っている... 続きをみる
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そろそろ、公開しても良いかと思って、書こうと思うが、実は、2年ほど前にガンが見つかり、手術を受けた。 手術を受けて、感じたのは、今の日本のガン医療の水準が、極めて高いということである。 池江璃花子選手があのように活躍できているというのも、池江選手の体力、精神力もさることながら、今の日本のガン治療の... 続きをみる
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男なら、一度は憧れる伝説の色男であるが、ドン・ジュアンとも、ドン・ジョバンニとも、その国の言葉で呼ばれたりする。日本で、同じような人物を探すとすると、これは伝説上ではなく、歴史上の人物として、伊勢物語の在原業平が挙げられるだろう。 平仲という人がいて、源氏物語にも名前は見え、芥川龍之介もその短編小... 続きをみる
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わたしは、かなり風変わりな家に生まれたということもあり、世間の人が、それも小さな世間であるが、その家の子どもということで、ずいぶん偏見に満ちた目で見られたものである。 このことは、わたしの中学時代の頃が、もっとも甚だしかった。貧しく、あばら屋のような家だったが、親父はそのことについて、まったく頓着... 続きをみる
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わたしは、テレビのニュース報道は良く見る方だが、コロナ禍に関しては、日々の報道が過熱し過ぎていると感じている。 何故、メディアは挙って、人々の不安をこうも煽るのだろうか。池江璃花子選手に五輪出場辞退を要求するメールを送りつけたトンチンカンな人もいたようだが、この人などは、明らかに、コロナ禍の過熱報... 続きをみる
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人を信じるというとき、その人の言うことが信じられるか、言葉を変えれば、その人の言が確かなものかどうかで、信の尺度が計られるということがある。ただ、これはひとつの見方に過ぎないということも、言い添えて置きたい。 人を信じるということは、とても困難で、厄介な精神の諸力を必要とするもので、人々は意外なほ... 続きをみる
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世界観というもの 世界観などということは、突破しなければならないというのが、わたしの持論である。われわれは、ものに至るべきで、世界観の中に閉じ籠もっているべきではないと思っている。 ○ 日本は、じつに国技の多い国である。相撲協会が、国技は、自分のところだけという顔をしているが、これは、た... 続きをみる
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この記事は、書こうか書くまいか迷ったが、やはり、書くことにする。 わたしは、長年、高等関係の教職に就いてきたが、そのある学院(今は専修学校に昇格しているが)に所属していたとき、入学試験の折に、生徒さんに作文を書いてもらっていたのだが、その作文の課題として出されていた題名があまり良い題ではなかったの... 続きをみる
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コロナ禍の現在、この人が、新型コロナウィルスのことで予見したことは、ほとんどすべて、当を得、現実のものとなっている。 日本にこうした人が、居てくれたことは、幸いなことなので、政権の要人達も、先ず、この人の意見を聴いてから、政策を練っているように見受けられる。 この人は、自分からは言わないが、おそら... 続きをみる
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他の方のBlogを読んでいると、果たして、この方は、こんなに自分を、このBlogというツールで、さらけ出そうと思っただろうかという思いに駆られることがある。 おそらくは、自分の近親者にさえ語らない、あるいは語られるはずのなかった言葉を、縷々、綴られている方さえ居られる。 Blog、またはSNSとい... 続きをみる