エッセイ ゴッホの「色」 <ひまわり>
ゴッホの絵の色彩は、他の画家と比べて、どこか格別であることは、絵の素人の人から見ても、瞭然であるくらいのものなのだが。
よく注意して見ると、色を躍動させているのではなく、躍動して止まない色を、どう画布に定着させるか。ゴッホの努力は、そこに集中しているように見える。
ゴッホは異常とも言える鋭敏な色彩感覚を持っていたが、同時に、色というものに過剰とも言える意味を、背負わせた画家でもある。
「ひまわり」は有名だが、黄色は、ゴッホがもっとも重んじた色でもある。ゴッホは、そのひまわりの絵を描いた後で、「この黄色の緊張に堪えたぼくの神経は、当たり前な生活者の幸福というものは、与えられていないものなのだろう。」と、手紙の中で、自省している。
このひまわりの躍動する黄色と、自己に対する正確極まりない批判。ゴッホの絵の迫力は、この両極が交差するところで、極まるようだ。
そうして思うに、こうしたゴッホの絵の数々は、私宅に置かれるべきものではなく、人類の公共財として、美術館などの公共の場に置かれるべきものである。
ゴッホ自身が、まったく私心のない、公なる人であったからである。
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