エッセイ 海の不思議 <リンゴの皮>
今も、同じように説明されてるかも知れないが、以前は、地球を説明するのに、林檎を使って例えられた。
地殻として、様々なプレートが張り巡らされていて、それが、ちょうどリンゴの皮に当たるのだという説明だった。
それで、地球を論ずる科学者に言わせると、地球規模の大きさになると、海というものは、地球の上に、ほんの僅かに薄く乗っかっている、水に過ぎないという。
われわれが、実感しているはずの、あの巨大すぎるほど巨大な海が、地球規模で考えるとそういうことになってしまうというのだが。
わたしは、ここに、ある思考上の不手際を見る。不手際というのは存在する物質の、大きさというものと、小ささというものについての、思慮の欠如である。
わたしは、科学においても、人間的な感覚を取り戻すべきだという傾向に、賛成の者である。
それにしても、思うのである。もし、先述の科学者の言うことが本当なら、海の水は、簡単に干上がってしまっているか、抑もが、地球内部に落ちてしまうのが、当然の事として、かんがえられるではないのだろうか。
だが、そんなことは決してなく、大海は、厳然として実在している。この存在への敬意なくして、何が学問であろうか。
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