閑話休題 報われない手柄 <作文題名・難訓漢字>
この記事は、書こうか書くまいか迷ったが、やはり、書くことにする。
わたしは、長年、高等関係の教職に就いてきたが、そのある学院(今は専修学校に昇格しているが)に所属していたとき、入学試験の折に、生徒さんに作文を書いてもらっていたのだが、その作文の課題として出されていた題名があまり良い題ではなかったので、
わたしは、アイデアを出して、「今までの自分」「今の自分」「これからの自分」という作文の題を案出して、このどの題名を選んでも良いから、自由に書くようにしてくださいとした。今から、二十数年前の話である。
そうして、最近、ある大学(名称は伏せるが)で生徒さんや学生さんにエッセイのような作文を募集していたが、その作文の題名として使われていたのが、わたしが案出したはずの、「今までの自分」「これからの自分」であった。もう一つの「今の自分」は削られていたが、それを見たとき、驚くと同時に、まったく、ゲンナリとしてしまった。
わたしは、もう、その所属していた学院は辞めてしまっているが、それにしても、じつに釈然としない気持ちになってしまった。
それと、今、盛んにテレビで、難訓漢字のクイズをやっているが、わたしはほぼ、30年前から授業で、生徒さんに漢字に馴染んでもらおうと、授業の合間に、例えば「信天翁」とか「鸛」とか「蚯蚓」のような漢字を黒板に書いて、ヒントを出しながら、生徒さんに当ててもらうようなことをしていた。生徒さんは、とても良く、食いついたものであった。
そのとき、その学院の院長は、今はもう、ネットの時代で、漢字どうのこうのという時代じゃないよと、わたしのしていることとは真反対のことを言っていたものである。わたし自身は、生徒さんの良い反応を信じていたから、この難訓漢字の授業は決して止めなかったが。
愚痴になってしまうのを恐れるが、報われない手柄というものは、あるものだと思う。
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