エッセイ 一つの懸念 <微生物について>
現在、日本では、コロナはそれなりの収束を見せている。予断は許さないが、まずは、慶賀なことと喜んでおきたい。
それでなのだが、わたしは実は、マスク生活をしている今の日本の現状を、どうかと思っているところである。
それというのも、ここ2年インフルエンザの流行を見ていない。これは、よくよく考えてみれば、ゆゆしき問題なので、われわれ日本人は、インフルエンザについては、免疫について言えば、まる2年間免疫力をつけていないのである。
ウイルスの怖さは、何も、コロナ禍に限ることではない。インフルエンザの脅威も忘れてはならない。
われわれ日本人が、一斉にマスクを外すとき、一体どんな事態が待ち受けているか、これはじつに、かんがえて置かなければならないことなのである。
また、現在のマスクが、非常に性能が良いものであることが、難点なので、日本人の悪い癖で、ウイルスなどの微生物は、すべて追い払えば良いと考えているのが、微生物に対する態度として、まったく頂けないのである。
パストゥールを生んだフランスは、微生物先進国と言って良いのだが、フランスの家庭では、子どもに、態々床に落ちているホコリを食べさせたりするのである。日本の母親などは、ほとんど激怒するくらいの振る舞いであるが、これには、じつは、長い伝統があることなのである。
日本でも、明治以前は、床の、特に着物で擦れ、隅にたまったホコリを、傷口につけて直すという風習があったのである。今では、薬を買えないような家庭環境の人は、ポケットにたまったホコリをその代わりにすることがある。いずれも、良く擦れた箇所であることに、注意されたい。
わたしは、微生物の研究者に言いたいのだが、こうした風習を真面目に受け取って、研究するくらいの学者が出て来ないものかと思っている。
昔からの言い伝えは、決してバカにはならないものなのである。
ともあれ、ポストコロナのとき、人々はどのような生活をしていることだろうか。ちなみに、アベノマスクは、こうかんがえて来ると、不織布マスクよりも有効である。性能があまり良くないことが、却って、その良さである。
※「働くということ」シリーズは、もう少しお待ちください
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