エッセイ ゴッホのひまわり <絵画というもの>
ゴッホの「ひまわり」は有名だが、有名だからと言って、いつまでも見続けられる絵というものではない。
わたしは、よく思うのだが、自分の家に、ゴッホやピカソなどの、絵のコピーや複製や本物でも構わないのだが、それを、よく、見えるようなところに飾っているような人は、一体、どういう神経の持ち主だろうかと疑ってしまうようなところがある。
ゴッホやピカソなどの色彩の強烈な絵は、とても日常茶飯に見ていられるような絵ではない。また、ゴッホでは内的ではあるが、ピカソではハッキリと絵自体を壊している。
こうした絵は、とても、日常生活の中で、安らっていられるような絵ではないのである。
モーツァルトのレクイエムをテレビCMで多用したり、これもCMであるが、ゴッホのある絵を自宅に飾ってはどうかと提案したり、じつに、感情や感覚の麻痺した世の中である。
こうした時世にあって、本当に良い、現代絵画を見つけると言うことは、至難の業に属するもののように思える。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。