エッセイ 長者という言葉 <東洋の思考>
アランの幸福論に、こんな言葉がある。「もし、君が金持ちならば、君は幸福になろうとしてはいけない。なにせ、君には金があるのだから。」
アランはフランス人だったから、カトリックの信者であったと記憶しているが、アラン自身は、カトリシズムというものに、ある種の違和感を感じていたことは、その著作の端々から窺うことが出来る。
たとえば、ある人の臨終の間際、神父が、まるでその人の息の根を止めるように「神の裁きを受けよ!」と激しい言葉をぶつけ、実際、それで事切れてしまうようなことを生業としているようなカトリックの慣習を、アランは苦々しげに、書いている。
ただ、それでもやはり、アランは根っからのクリスチャンである。
はじめに掲げたアランのことばは、新約聖書に見える有名な「金持ちが天国に行くのは、らくだが針の穴を通ることより難しい」という言葉を、アラン流に練り直したものとかんがえて差し支えないだろうとおもう。
日本の昔話によく登場する長者ということばは、「富貴」という欧米世界では、まるで見られない観念を持っていて、その語感には、身持ちの正しい立派なお金持ちという意味合いと、さらには、そういう人は長寿であるという意味さえ、込められている。
彼我の文化の違い。それにしても、この文化差は決定的な相違であるようにおもわれる。
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