「安心」という言葉は、英語にはないそうである。従って、「安心」に類する安堵という言葉も同じくないと推測できる。 安堵は、本領が保証されてこその安堵であった。一所懸命(今では一生懸命になっているが)の言葉の出処は、この本領を死守するために、懸命になることだった。従って、本領を保証もされないのに、一所... 続きをみる
2019年6月のブログ記事
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ヨーロッパでは、こういうことが言われるそうである。 一人のイギリス人は俗物である。二人のイギリス人はスポーツをする。三人のイギリス人は大英帝国を作る。 一人のドイツ人はロマンチストである。二人のドイツ人は俗物である。三人のドイツ人は戦争をする。 日本人は、どうもドイツ人に似ているようである。
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最近、UPを怠ってしまった。体調不良も、少し関係しています。 書き留めていたものもないので、日頃、勝手に考えていることを少し書いてみたい。 カメラ キャノンのレンズは即物的 ニコンのレンズは明るくて自然 ソニー(ミノルタ)のレンズは癖がある オリンパスのレンズは繊細だが迫力に欠ける カメラはレンズ... 続きをみる
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アホウドリ沖の岬にうでひらき見えつつ遠くなりにけるかも 夏夜中地震ありしも寝べきころ なひありて短夜報道徹しけり
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キナ臭き世界情勢なりしかどわれにはわれの為すことのみぞ 梅雨入りやわが身一つを持て余し 梅雨晴れや滞りなき用水路
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近代は裏より人を見しゆえに表良く見る人ぞ少なき 裏表相合わさりて人なりき裏ばかり見る人は何者 いつのまに春は過ぎけり夏の雲
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いかならむ月は月にて花は花我は我にてかくもかなしき まとまらぬ思いを他所に春の月 いつか見し月や平家に見つけたり
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科学は知の底辺に位置するものである ○ 科学は普遍性を持つが、科学という箱からは決して出られないものである ○ 箱を破り、知を広げようとするところで、知はローカルなものにならざるを得ない ○ 世界文学という言葉はあるが、世界哲学という言葉はないのである ○ ... 続きをみる
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地獄をやありと言いしもなしとしも確かなりしはこの生き地獄 いなずまや真っ正面に落ちにけり ひむがしにいなずま落つる音すなり
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いかばかり不幸な生のありしかどたとえばゴッホ思へば黙せり 地獄にてふたたび会はむ曼珠沙華 闇に浮かぶ炎のごとき牡丹かな
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中也の年を過ぎ ゴッホの年を過ぎ モーパッサンの年を過ぎ 芭蕉の年が過ぎ去りぬ
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思うところありと言はんや春の風ふたたび我をこころみんとす アジサイを滲んで映すアスファルト 日曜日梅雨空なればひきこもり
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今、テレビを見ていると、クラシック界で第一人者と呼ばれる人の変人ぶりを、見て興じるのが、流行りのようである。 クラシック界に限らず、その道での第一人者と呼ばれるような人には、大概、変わり者が多いようであるが、変わり者でも、二つに大別できるようである。誰かや、また何ものかを攻撃せずにはいられない変わ... 続きをみる
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英語で、「時間通り」は「on time」または「punctually」と言うそうだが、英語には、ほとんど無知なわたしだが、勝手に「on time」の方が、より強い表現だろうなと推測している。英語のonはスイッチのオンとオフで、すでに広く和製英語化しているが、いくら英語に疎いわたしでも、この前置詞o... 続きをみる
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地下鉄にイヌを持ち込む女あり吠ゆるに及び降りて行きたり 足を止める通勤路にはガク紫陽花 切り返すツバメの腹の白さかな
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この書の題名には、少々不審に思う人が居るかもしれません。俳句という文芸には、解し方や味わい方まであるのか、自由に解し自由に味わえば、それで良いではないかというように。それも、もっともな考え方なのですが、俳句というのは、とても狭い道を行く文芸だということを、忘れないで欲しいと思います。虚子は、さらに... 続きをみる
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ひとひらの枯れ葉のおのずからなりや木立離れぬゆくへかなしも 春は過ぎ風定まらぬ夜更けかな 新式の建物映す水田や
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江戸時代は、元禄文化をはじめとして、様々な文化が花開き、その妍を競いあった時代と言えるのだが、技術の面でも抜かりはないので、たたら製鉄技術や上総掘<かずさぼ>りなどはその代表的なものであろう。 日本の自動車が、世界中であんなにも評判が良く、故障が少なく、性能の良いものとして重宝されているというのも... 続きをみる
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