Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 人を信じるということ

人を信じるというとき、その人の言うことが信じられるか、言葉を変えれば、その人の言が確かなものかどうかで、信の尺度が計られるということがある。ただ、これはひとつの見方に過ぎないということも、言い添えて置きたい。


人を信じるということは、とても困難で、厄介な精神の諸力を必要とするもので、人々は意外なほど、そんなことで人の信不信を決めているかという人が、実態として、多くいるものなのである。例えば、その人が、いかした顔をしていたからとか。


これは、ひとつには、社会の中で実経験を積むということ以外、人を見る目を養うには、確たる手段はないもののようで、いわゆる、苦労人と呼ばれている人でも、先に言った、自身の精神の諸力を活躍してこなかった人は、ひどく貧弱な人間観しか持ち合わせていないことが、多いものである。


人と、話をするとき、双方が心を開いていなければ、まず、意味のある会話にはならないが、中には、心を開いている振りに長けた人もいて、人間とはじつに厄介な代物だと思わざるを得ない。


兼好法師に、こんな言葉がある。「達人の人を見る眼は少しも過つことあるべからず」と、じつは、人は、誰でも達人面がしたいものだということを、兼好は言外に忍ばせているのだが、そう受け取る人は、とても少数であることも、兼好は承知しているのは、間違いない。


人に対しての信不信、これほど人を迷わせるものもないが、これは、長い社会生活の中で、磨きをかけられた人の眼というものがなくては、抑も、意味を成さないものでもある。


達人は、確かにいる。だが、自分がそうであるという人は、まず、疑った方が賢明なもののようである。