エッセイ ドン・ファン <日本流>
男なら、一度は憧れる伝説の色男であるが、ドン・ジュアンとも、ドン・ジョバンニとも、その国の言葉で呼ばれたりする。日本で、同じような人物を探すとすると、これは伝説上ではなく、歴史上の人物として、伊勢物語の在原業平が挙げられるだろう。
平仲という人がいて、源氏物語にも名前は見え、芥川龍之介もその短編小説を書いているが、平仲が最後に、女からの復讐のように、雅な男から逸脱してしまうのに対して、伊勢物語は、在原業平の幸福な最期で締め括られる。
ドン・ジュアン地獄行きの思想は、日本の在原業平を、唯一の例外として、おそらく、女で浮名を流した男に対する、世界共通のかんがえであろうかとも思う。
わたしが面白いと思うのは、日本のドン・ジュアン在原業平が、女からの復讐も受けず、地獄行きにもならず、最後に「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」の、歌学者契沖を驚かせた、見事な歌を残し、その生を全うしたという点である。
伊勢物語には、そんなにもと思われるほどの純情可憐な女性が、多く登場し、物語に、疑義を呈する研究者がいることはそうなのだが、物語は、研究者のためにあるのではない。それに、心を開いて共感する読者を、待ち望んでいるものである。
あるいは、後世の付会かも知れないが、日本には、在原業平という、雅で幸福な色男がいたということ、わたしはそのことを素直に信じたいと思う。
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