Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 人を信じるということ <続>

わたしは、かなり風変わりな家に生まれたということもあり、世間の人が、それも小さな世間であるが、その家の子どもということで、ずいぶん偏見に満ちた目で見られたものである。


このことは、わたしの中学時代の頃が、もっとも甚だしかった。貧しく、あばら屋のような家だったが、親父はそのことについて、まったく頓着しなかった。むしろ、自分の精神性の優位を、誇っていたくらいであった。


そうした境遇に置かれていたこともあり、小さな世間の人人が、わたしの家の子どもたちを見る目が、他の子どもたちとはまるで違うことに、かなりの違和感を持っていた。


中学生のわたしは、そのことについて深く悩み、かんがえにかんがえた挙げ句、ひとつの結論に達した、つまり、わたしは小さな世間の人々から、まるで信じられていないということであった。


人に信じられていないから、このようになってしまう。それも、中学時代の教師たちの目は、偏見そのものに満ちていた。そのために、ずいぶん、ろくでもない目にも遭ったものだが。


それは、ともかく、そうした経験を持ったこともあり、人を信頼する、信じるということについては、わたしは他の人より、一日の長があるのではないかと、自ら密かに思っているところがある。


そうして、わたしは、人を信じるということについて、次のような考えにも至ったことがある。人が人を直接に信じるということは、突き詰めて言えば、不可能なことではないか。人は、ある絶対的なものを信じられるからこそ、そのことを、言わば、支点として、人を信じることができる。人間の心の構造とは、そうした具合に出来上がっているものではないか、というかんがえであった。


そうして、ほとんど場合の良好な人間関係というものは、心理学で、ラ・ポールと言われる、人間信頼のきっかけとなるような関係ではないかとさえ、かんがえたりもした。ラ・ポールとは、たとえば、病院に行って医者に診てもらったりするとき、医者も患者も、病気を治そうとする気持ちで一致する、そうして、その共通な思いが、それなりに持続するのだが、信頼関係と言われるものとは、まだ軽い意味合いのものである。


これらの、ある絶対的なものというような、宗教的な思考や、心理学的な知見から得られた、ラ・ポールというような観念は、わたしの今までのこころの遍歴を語っているようにも、今、書いていて思ったりもする。


ともあれ、信という徳は他の徳と同じく、その段階的な層というものをかんがえなければならないもののように思われてならない。