ゴッホの絵は、非常に個性的なのだが、その自分の個性を誇るというような独りよがりな性質は、まるで見られない。 〇 むしろ、ゴッホの絵は、自分の強過ぎる個性と戦わざるを得なかった人の、いつ果てるとも知れない、生々しい自己超克の戦いの跡である。 〇 それが、単に、ゴッホの色彩の強烈さ... 続きをみる
ゴッホのブログ記事
ゴッホ(ムラゴンブログ全体)-
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不幸なる星の下にて生まれける幸か不幸か生きながらえど 思ひ出の苦きことのみ重なりぬ艱難人を玉とすと言え 想像す艱難辛苦の生の果て血潮に染まるゴッホのこころ
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ゴッホは、アルルでゴーギャンと共同生活を送っていたが、ゴッホは事件を起こし、結局、ゴーギャンとの共同生活は、それで、解消することとなる。 事件というのは、ゴーギャンの方から、もう共同生活は止めようと切り出され、悲しみに耐えかねたゴッホが、自分の右耳を切り、それをきれいに拭いて紙に包み、知り合いの売... 続きをみる
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ニーチェという教祖 ショーペンハウアーという貴族主義者 ミレーというペシミスト セザンヌという真新しさ ゴッホという超人
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ひまわりやゴッホのにほひ立ちこめる ゴーギャンの赤は血の色秋日暮れ
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ゴッホの「ひまわり」は有名だが、有名だからと言って、いつまでも見続けられる絵というものではない。 わたしは、よく思うのだが、自分の家に、ゴッホやピカソなどの、絵のコピーや複製や本物でも構わないのだが、それを、よく、見えるようなところに飾っているような人は、一体、どういう神経の持ち主だろうかと疑って... 続きをみる
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真理をや手に入れにしとランボーの書くはまこととわれは信じる ランボーは詩を捨てにしが文学はそこで終わらずわれは詩を書く 詩作するときには常に詩を思うギラリと光るランボーの詩を 秋の夜たとえば耳を切るゴッホ
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性 性を弄ぶというような、お盛んな人がいるが 逆であろう そういう人は、性に弄ばされているだけである エロスを軽んずる人の行き着く先は 人間不信である ○ 人生 人生を軽んずる人もまた 人生に弄ばされている人と言っていいのだろう ○ 人生が勝負だとすれば ゴッホは人生の勝者であ... 続きをみる
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ただならぬ気配ありけりゴッホの絵裸の心震えるばかり 本質を抉るはうまきピカソなれど壊れたままを表しおりぬ 見事なり春風の吹くモネの絵や
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セザンヌの言葉によると、ゴーギャンやゴッホは、私の絵から勝手にプチ・サンスを盗んで画業を成した画家たちで、セザンヌと親しくしていた人は、彼らのことに話が及ぶと、セザンヌは憤懣やる方ないという様子を見せていたという。 本家のセザンヌに言わせれば、そういう言い方になるのも、もっともかも知れないが、その... 続きをみる
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いかばかり不幸な生のありしかどたとえばゴッホ思へば黙せり 地獄にてふたたび会はむ曼珠沙華 闇に浮かぶ炎のごとき牡丹かな
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中也の年を過ぎ ゴッホの年を過ぎ モーパッサンの年を過ぎ 芭蕉の年が過ぎ去りぬ
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ピアノ鳴る小暗き部屋に情念のほむらかがようロベルト・シューマン ヤナーチェク朱離鴃舌(しゅりげきぜつ)すプラハ春 半獣神口あけておる午睡かな 秋の夜たとえば耳を切るゴッホ ゴーギャンの赤罪の色夏の色
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ゴッホは画家ですが、弟のテオや友人に宛てて、非常に多くの手紙を残していたことはあまり知られていません。しかも、その多くの手紙は、ゴッホの多くの絵と同じくらいの、またそれ以上の文学的な価値を持ったものだとなると驚きを増す人は多いことでしょう。ゴッホの絵が、誰の真似も追従も不可能な、断固たる芸術的な価... 続きをみる