クラシック音楽史を見ていると、不思議だなと思うことがよくある。言うまでもなく、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンというように西洋音楽の伝統は流れて行くのであるが、これは、言わば後付けの、純粋な音楽史的解釈であって、この中で、実際に生前から認められていた音楽家はと訊ねると、まるで、様子が... 続きをみる
2021年1月のブログ記事
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音楽について、語ったり語られたりする際、わたしは注意することがある。音楽について言われたその言葉が、ちゃんとその人自身の詩となっているかどうかということである。 ごく若い頃だが、名前はとうに忘れてしまったが、あるクラシック音楽の評家と称する人の文章を読んだことがある。そこには、ある有名な音楽家の曲... 続きをみる
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日本が、史上はじめて世界と衝突したのは、元寇の時だったと、わたしはかんがえている。 あの元寇のとき、高麗や蒙古の軍団が、どれほど残酷なことをやって去って行ったかは、今でも、五島列島やその近辺に行けば、語り継がれているほどである。以前のブログでも、触れたことがあるから、ここでは繰り返さない。 そのと... 続きをみる
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大げさな題を掲げてしまったが、現代という時代は、言わば、無方向的な時代だと、わたしはかんがえている。 個人のレベルについても、そうであるし、国家レベルに話を広げて見ても、この方向に進むべきだという方向性が、まるで見えない、また、見ようとしない時代であろうと思っている。 不安で孤独な民衆と、立ち止ま... 続きをみる
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つい最近、ある人と何気ない気候の話をしていて、わたしが、「日本は、季節の変わり目なんかには、気温が乱高下して、また、じつに、コンパクトに気候が移り変わる国ですね。」と言うと、「ええー、そうですかあ? 昔はもっと気候が温暖で、こんなに暑かったり、寒かったりするなんて、最近の気候は、やっぱりおかしいで... 続きをみる
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文章を書いて、賞を取ったりお金を貰ったりということは、あまり頓着せずに、ものを書いているが、こうしたわたしでも、文章を書いて些少のお金になったことがある。 わたしの兄の勤め先でのこと。社長の出した自叙伝を読み、社員がそれぞれ感想文を提出するということになった。 確か、原稿用紙2,3枚の分量だったと... 続きをみる
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わたしのすぐ上の兄は、賭け事が好きだったが、ギャンブルで身を持ち崩すということはなかった。 わたしには、よく、場外馬券場へ行って馬券を買ってきてくれと言ったものだが、わたしは、そういうところへ出入りすること自体が嫌いで、言下に断ったものだった。 けれども、そういうわたしだが、若い頃、ある期間、パチ... 続きをみる
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時代もまったく変わってしまったなと思う食品の代表として、「塩」が挙げられると思う。ご存知方も多いと思うが、昔は、「塩」は国が専売特許を取って売っていたくらいの人間その他生物には無くては適わない、生命維持のためには必須の食品である。 今、塩に対する認識はどうであろうか。現今の医療従事者にとっては、高... 続きをみる
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音楽、殊にクラシック音楽について語ろうとすると、音楽についての教養がどれくらいだとかという話になりがちなのが、かなしいところだと思っている。 もちろん、音楽的な教養がしっかりしていることは、慶賀なことではあろうが、調性とか、この音は何調の何音などの基本的な音楽知識はあっても、クラシック音楽などは、... 続きをみる
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ミケランジェリという名ピアニストがいたが、この人の実況録音の演奏が廉価で発売されていたので、買い漁ったことがある。 聞いて、まず、驚いたのは、観客たちの咳払いの激しさと、そうした雑音をまるで意に介していないように聞こえる、ミケランジェリの超然としたピアノ演奏である。 ほとんど、わざとしているのはな... 続きをみる
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今日は、ほとんど何も浮かびませんでした。 どうぞ、悪しからず。 メモしておいた俳句が一句ありましたので、それを。 やわらかき日の差し寒さゆるみけり
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わたしは、元々、原理とか理念というものを好まない性格である。殊に、芸術の世界で、原理とか理念とかいうことばを聞くと、これらのことばを発した人間の硬直した表情というものが思い浮び、なんとも言えない、興ざめな気持ちになってしまうのである。 「芸術は、きれいであってはならない。心地よくあってはならない。... 続きをみる
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参考程度に、読んでもらえれば有り難いのだが、わたしはコロナは、インフルエンザのやや重い症状のものだと思っている。 風邪とは違うということで、よく言われる、嗅覚異常や脱毛などのコロナによる後遺症のことは、実は、インフルエンザやただの風邪のときでも、それなりに起きることなのである。インフルエンザによる... 続きをみる
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現今、非常な健康食ブームだが、このブームに止めを刺す王者の食品として、挙げられるのが、植物性乳酸菌であろう。そうして、この植物性乳酸菌で大事なのは、生きていなければ、ダメだということである。 植物性ではないが、市販されている、例えばカルピスやヤクルトは乳製品で、無論、乳酸菌も入っているのだが、いか... 続きをみる
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今日は、阪神大震災の起こった日であり、また、家にとっては、長男の命日である。 大震災から、何年後のことか忘れてしまったが、就寝中のまったくの突然死であった。 色々なことを思うが、ブログは言を尽くさず、言は意を尽くさずとでも言いたいところである。
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この絵には味があるとか、この文章には、味わいがあるといように、ほめ言葉として、よく使われるが、われわれは、知らぬ間に重要なことを語っているようである。 意味という、みんなが分かり切って使っている言葉があるが、では、抑も意味とは何かと問われれば、そのまま黙ってしまう人が大半であろう。これは、その字義... 続きをみる
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日本は、もちろん、漢字文化圏の国だが、漢字を自分たちの良いように、自在に使うについては、本国の中国でさえも、唖然とするほどではなかろうか。 中国語の簡体字なども、わたしは寡聞だが、時代から見ても、日本が漢字の簡略化を行ってから、出てきたものではなかろうか。(間違っていたら訂正しますが。) また、皆... 続きをみる
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皆さん、ご存知だと思うが、マイケル・ジャクソンの歌で有名な曲で、日本曲名は「スリラー」で、特に、何でもないようなこの語は、至極、単純な単語として、誰もが知っていて、当然のような語なのだが、実は、発音が厄介極まる語なのである。 学生時代の古い話で恐縮だが、わたしと同じ大学の友人から聞いた話なのだが、... 続きをみる
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興味本位に過ぎないが、ゲーテを始め偉人たちの年齢を、少し調べてみた。こういうとき、ネットはまことに便利である。 ゲーテは八十歳で天寿を全う、とばかり思っていたが、八十三歳まで生きていたことに、改めて驚いてしまった。 ともかく、この人の年齢はモーツァルトとベートーヴェンもすっぽり入っていて、確か、八... 続きをみる
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時代の問い わたしとは何か ○ 悲しみという美しさ ○ 人間には何ができて、何ができないか
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わたしは、ずいぶん本を読んで来たほうだと思う。これは、親や誰か他の親族に言われたという訳ではない。 わたしの主な趣味は、読書とクラシック音楽鑑賞だが、わたしの親は、むしろ、本ばかり読んでと、わたしを非難ばかりしていたものだし、兄は兄で、貴族が関わった芸術として、至極単純にクラシック音楽を否定し、同... 続きをみる
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現代科学は物質的な絶対性はあると、証明したかに見える では、心的な絶対性はないと、なぜ、言い切れるのだろうか ○ 広々とした空虚 わたしはそこにどんな夢を紡ごうか
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自己という暗がり背負う五十代成熟すとは影長きこと 新春の思いは晴れずコロナ禍や 自己という闇を見つめて去年今年 ※このご時世、俳句や短歌も、どうしても暗くなりがちです
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名古屋のお雑煮はとてもシンプルである。お雑煮ということばを使っているのが、どうかと思うくらいのシンプルさである。 正月菜(小松菜)を荒切りし、鍋に適量の水とその正月菜と角切りの餅を入れて煮込み、頃合いを見て醤油で味付けし、餅が軟らかくなったところで、お椀に移し、カツオ節を乗せて、出来上がりである。... 続きをみる