思い掛けず近くに聞こゆピアノかな梅雨盛りなる通勤途中で ひさかたの月光のごとき笑まいせし君を思ひて道をさまよふ
道のブログ記事
道(ムラゴンブログ全体)-
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水嵩を増したり春の矢作川 道の見えぬ暗き世なれど澄む月のごとく明るき君を思ふや
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苦しみは苦しみとして楽しみは楽しみとしてわが思ひ知る 学問は不楽の楽と言ひし人円熟の道ひたすら歩む
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あはれ蚊を叩かずにいてうるさけれ 道もまた和語なりけるが中国の根元思想そのままなりし
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春雨や傘を畳んで歩く道 春雨やビル並ぶ町濡らしけり
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事故ありし通勤路なり冬鴉 どこまでも真っ直ぐな道冬の道
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「道」について、色々と、言ってきたわけだが、「働くということ」についての考察を、やめていたわけではない。 わたしの目指す本題は、現代の資本主義経済の直中にあって、働くということの意味合いを、問いたいというものであった。 ただ、この問いは、直球で攻めていっても、決して、陥落しそうもない問いであること... 続きをみる
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ここで、「道」の本場である東洋思想は、道というものをどのように考えているのかを概観することにしてみたい。 先ず、荻生徂徠によれば、「道」というものは儒教の中で、発見されたものであるという。 古<いにしえ>の聖人たちの創作したもっとも優れたものの一つとして、「道」があったのであり、古来、「生民<しょ... 続きをみる
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「働くということ」と「道」というものついて、相通ずるものがあるかということを、かんがえたいため、ここで、 道ということについての、欧米やイスラーム圏の人々の考え方のあらましや、その大略のところを、整理して、語って行ってみたい。 欧米の人々にとっての「道」とは、直に、聖書の神が指し示した道とかんがえ... 続きをみる
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よき道に導くことを才能というものならば誰ぞ才ある 才能は人を騙すの才ならず人を善導するが本意なりけり 題目と念仏それと南無三と三つの呪文のみしか知らず 雪の朝弾むこころと止まる道
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働くということをかんがえて、「道」というものにまで、言及することになったのは、自分でも意外であった。 やはり、実際、書いてみなければ、出て来ないことばというものがあるようだ。 そこで、思うのは、現代日本に蔓延っている冷笑主義というものがある。わたしは、月刊誌や週刊誌を読む習慣がない。もう、学生時代... 続きをみる
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何のために働くかと、問われると非常に多くの人が、生活のためと応えることだろう。 これは、これで無理のない応え方のようだが、何の為にという、意味を問う問い方ではある。 ここで、その意味するところを、便宜上、二つに分けてかんがえてみたい。 このことは、およそ、生活上の悩みに関することと、人生の意味に関... 続きをみる
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批判する人の目を見るその通りトゲトゲしきは当のその人 新しきことの古びる理のことわりさらばと言えど道は古びず することも無き秋の日の憂鬱や
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この辺り小鳥の多き道なりし今日は燕が掠め飛びたり 顧みるわが運命の過酷さを然りと言えどなほ生きぬべし 新緑や鳥囀るも名を知らず
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歩けどもなほ歩けども道遠し春たけなわの良き日なりしも 春酣いかにも酒に酔う如く 川沿いを行けばぽっかり春の月
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ともかくも日本は道に事欠かずいつの間にやら歩いておりぬ 若き人こころ焦るな美は女神礼に拠りてや美しさ増す 飛ぶ鳥の真下に見ゆる秋の町 <若いときの句を、若干変えたものです>
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立ち姿凜としたれど裏腹の迷えるこころ道を探さん せめぎ合う男トムにて女ジェリーいたずら好きはなほ止まざりし 真心は得たりと思はば去りぬもの絶対なくば適わぬ道や 淡けれど染みる色なり薄紅葉
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聖書にはこと浅からぬ言葉あり真昼といふに道に迷えり お笑いを見しその後の侘しさよ エアコンの効きし部屋にて句首詠みぬ
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夏の道ふいに現る黒き蝶カメラ出だせど間に合わざりき 忘れ難き黒蝶なりし今一度通りに出でど姿は無きを 名は知らぬ花の上には夏の蝶
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我がもの顔にクルマが通る 日本の道をクルマが通る 一体何んの行列だい おちおち外も出歩けない 歩くだけでも一苦労 ああ 狭くも細い日本の小道を 我がもの顔にクルマが通る 口笛吹いて歩いたは 昔々のお伽の話 道は歩く人のためのもの 誰も聞かぬは承知だが それでも言うよ 歩く人こそ優先なれ
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「道の道とすべきは常の道にあらず、名の名づくべきは常の名にあらず。」道徳経の巻頭の言葉です。儒教は名を重んじる教えで名教とも呼ばれます。老子は、その儒教の教えと真っ向から対立する自由思想の大家です。前掲の言葉は、道も名も普通にそう言われているものは、決して永遠のものではないという意味です。道徳経に... 続きをみる
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「タオ」とは、中国語で「道」ということです。人気者だが、ぐうたらなクマのプーさんこそ、本当の道を歩いているたぐいまれな存在だという意味です。著者のベンジャミン・ホフは、アメリカ人ですが、彼のように中国や日本などの東洋の思想に深い関心を抱く外国人が、最近、急速に増えています。キリスト教の弱体化がその... 続きをみる