エッセイ 働くということ 10 <道、形而上なるもの>
ここで、「道」の本場である東洋思想は、道というものをどのように考えているのかを概観することにしてみたい。
先ず、荻生徂徠によれば、「道」というものは儒教の中で、発見されたものであるという。
古<いにしえ>の聖人たちの創作したもっとも優れたものの一つとして、「道」があったのであり、古来、「生民<しょうみん>より以来物あれば名あり」というように人々はやって来たが、聖人たちが現れて、形のないものに、名をつけた。
それが「易経」でいう、「形而上なるものこれ道という」ことばとなった。そして、儒教では、この「道」という形而上なるものの実践において、「仁義礼智信孝悌忠」というそれぞれの具体的な徳に、敷衍されることとなる。
そうして、もう一つの中国を代表する思想である、老荘思想では、この「道」というアイディアだけを取り、その他の徳を顕彰することを退ける。それだけではなく、儒教でもっとも重んずる「名」というものの否定にまで至り、すべては、自然の運転に委せるという思想となる。
本居宣長に拠れば、日本の思想は、儒教思想ではなく、この老荘思想に大変よく似た、互いに、相通じるものがあるという。ただ、老荘で、自然の運転というところを、神々の御業であるという事が、大きく違うとも言い、また、これは、些細な違いではないとも言う。
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