道元禅師の弟子懐奘が、師の言葉を採録した書です。懐奘は道元よりも年長なのですが、真摯に師の言葉を書きとり、その為人に肉薄します。この書には、現代のわれわれの心をじかに打つものがあります。道元の開いた永平寺の修行は有名ですが、その修行は実は普通の人間が、修行の心構えを持ち、それなりに我慢すれば、誰で... 続きをみる
2017年6月のブログ記事
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そもそもの話であるが、「新自由思想」という、言葉自体が奇妙である。ニーチェが言っているように、「思想」はすでに、どのような思想であろうと、人間によって考え抜かれ、その帰結するところは、見抜かれているのである。 従って、われわれに残されているのは、思想を選択することであって、それが、現代という地に播... 続きをみる
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ユング派心理療法家の第一人者が、自らの臨床経験を元に心理療法について懇切に説明した、河合隼雄の中では難解な書物です。河合隼雄の他の本は、いくらかの本を除いては、高校生でも理解できるような平易さがあります。そのために、心理療法について読みかじった生半可な読者が、阪神大震災の折に、被災者に自分の体験を... 続きをみる
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西洋文化の女性の視点ということで、よく考えることがある。 卑俗なところから、まず、ベートーヴェンをヨーロッパ随一の美男子としなければ、気の済まなかったこと。バッハについても、その再婚相手のアンナ・マグダレーナが、「バッハの思い出」の中で、申し訳ありませんという調子で「私の夫は、美男子ではありません... 続きをみる
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日本で、最も名高い自伝ですが、世界を見渡してみても比類がないと言っていいほど、清廉で鮮やかな精神の足跡が、まざまざと見えてくる自伝です。江戸末期から明治に至る日本史上、空前絶後の大変革期の時代を、なんの気負いも外連味もなく、正しい精神がしっかりした足取りで着実に歩を進めて行くさまを、目の当たりに見... 続きをみる
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現在、日本だけでなく、諸外国を見渡して見ても、インテリゲンチャと呼べるような人が居なくなってしまっている。村上春樹が一人いるが、残念ながら、彼の作品はどうしても、思想としての力は弱いように思えてならない。 ちなみに、インテリゲンチャという言葉は、ロシア語である。蒙昧な貧しい民衆と暗愚な専制君主との... 続きをみる
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残念ながら現代は、当たり前な「感覚」がどんどん麻痺していって、何が当たり前かなのかさえ戸惑うような無秩序な混沌とした時代になっています。その当たり前なコモンセンス「常識」を取り戻し、その本当の力を発揮させること。忙しさにまぎれてしまう現代人にはなかなかむずかしいことですが、現代人に課された、最も必... 続きをみる
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喜びはモーツァルトを聴くこと 時にふと誰かが聴いている モーツァルトの音楽に耳を澄ますことは 無上のよろこびである なんという絶対の新しさ なんという絶対の自然さ どこまでもつきぬける自由 流れ出して止まない無限のやさしさ きよらかな泉のようによどみを知らず溢れでる抒情 そうして 異様なまでの多様... 続きをみる
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バッハの音楽は神に捧げられている ベートーヴェンの音楽は人類に捧げられている モーツァルトの音楽は言葉に窮する ハイドンの音楽は美のために スカルラッティの音楽は遊戯のために メンデルスゾーンの音楽は趣味のために シューベルトの音楽は心情のために ショパンの音楽は集う人のために シューマンの音楽は... 続きをみる
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読み味、爽快な青春歴史小説。幕末の動乱期を疾風のように駆け抜け、大きな業績を残していった竜馬の生涯を活写します。全8巻ですが、少しも長さを感じさせません。西郷吉之助の描き方も見事です。歴史にあまり興味がない人でも、一読をお勧めできる本です。
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「カラマーゾフの兄弟」を高校時代の17歳の時に読み、圧倒的な衝撃を受けた。それまで、うつろな観念の集合体以上のものではなかった人間たちが、わたしの心のなかで突如としていきいきと躍動しはじめ、ひからびていた心臓に本当の血流が注ぎ込まれ、たくましく鼓動を打ちはじめた。いや、それでもまだ弱い比喩である。... 続きをみる
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なんでもない野良ネコたちの、なんでもない日常を撮ったらどうだろうか。ネコのことはネコに聞いてみようとカメラ片手に、あちらこちらの町々をうろついて、ついにイタリアはベネチアあたりまで来てしまった。ネコを撮り続けて30年。ひとつ写真集にして出してみようかと出版したのが、岩合写真家のこの本書。人に懐かな... 続きをみる
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ものがなしい夢から夢へと 人々はさまよう アスファルトは雨に濡れてさらに黒く バスはとまっている 外灯は葬式の灯明のようにきびしく光り ビルの谷間からのぞいた月に 青猫は手を合わせる 人は思いに耽る もの憂い語られることのない思いに
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一見、無造作と思える筆致で書かれていながら、ロマンチシズムの香気が濃厚な作品です。作中、主人公のジュリアンは、ある女性が昔の恋人の話を楽しげにするのを聞いていて、じりじりします。その女性は、ジュリアンと今会って話しているからこそ、昔の楽しい思い出に耽っているのですが、ジュリアンは、「それでは、あな... 続きをみる
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筆者は多くの著作を持つ著名な精神科医です。「診療室にきた赤ずきん」とは、一見風変わりなタイトルですが、実際の診療にあたって、様々な昔話がいかに人々を癒し、元気づけるかを豊富な事例をもとに、平易な文章で解き明かしてくれます。あなたは、昔話の赤ずきんであったかも知れないし、これからそのおばあさんの役を... 続きをみる
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わたしは、高浜虚子のこの言葉が好きである。 歴史を見てみると、喜撰法師という人がいる。この人は六歌仙の一人に選ばれるくらいの歌人なのに、残っている歌は、百人一首で有名な一首しかない。どういう人だったかも、さっぱり分からない。 分かっているのは、都の東南に庵を構えていた法師だということくらいで、それ... 続きをみる
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日本で最も独創的で、また理解しがたい人間、織田信長。日本の近代は彼によって準備され、われわれ現代の日本人は誰でも、信長が時代の大転換期に画した業績の上に立っていると言ってよいくらいです。その信長の天才に迫る画期的な労作。ナポレオンと信長とを同列に論じた章は絶妙です。
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数ある「幸福論」の中でも、これこそ本当の「幸福論」と言える一冊です。著者のアランは戦争について深く考究した哲学者ですが、世界大戦当時、医師として戦争に従軍し、行動する哲学者としても活躍しました。フランスでは、人間性について深い洞察を持った人をモラリストともいうのですが、激動の20世紀を誠実に生きた... 続きをみる
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「無知の知」で有名なソクラテスを主人公とするプラトン初期の対話篇です。「美について」という副題がつき、ギリシアの地中海的な美しさが際立つ、美しい哲学書となっています。作中、ソクラテスは自身を、ギリシア神話に登場するテュポンのような巨怪な怪物なのか、単たる人のよいアテネの一市民ソクラテスに過ぎないの... 続きをみる
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パっと扉が開いても ぼくは ボーっとしている 自然がどんどん入り込み 言葉がどんどん脱けて行く ああ 雨が降ったら傘をさすのだ ぼくはでく おお 紫陽花の花が咲いている ぼくは木偶
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ツァラトゥストラはゾロアスター(拝火教の祖)のドイツ語読みである。ニーチェは原水爆という史上もっとも熱い火を手に入れるに至った現代を予見していただろうか。詩人の千里眼とはそういうものであろうとも思うが。 ベルクソンは、最後の著作で、「人類はまだ自分たちの運命は、自分たち次第だということをよく分かっ... 続きをみる
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作中、ウェルテルはかなわぬ恋の悩みから、自殺を遂げるのですが、当時、大評判となったこの作品を読んだ若者が、主人公の真似をして自殺する事件が相次いで起こり、ウェルテル病と呼ばれました。ゲーテ自ら、「ウェルテル」を書いていた、その24、5歳の当時を振り返り、あの時期はじつに危なかったと晩年の「ゲーテと... 続きをみる
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二十歳という若さで、世界の頂点に立つ詩を書きあげ、その自ら書いた詩をなげうって、アデンの砂漠へ旅立ち、37歳で死んだフランスの詩人ランボーの作品です。ランボオは誰のためにも詩を書きませんでした。そのために、書かれた詩は非常に難解ですが、生命そのもののようなギラギラする鮮烈なイマージュは、めまいのす... 続きをみる
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日本語が、テンポやリズムに乗り難い言語であることは、ご承知のことであろう。英語やフランス語、ドイツ語などのアルファベット属の言語は、テンポやリズムに乗りやすい。この性質が、リンカーンやキング牧師、オバマ、また、悪人だが、ヒトラーなどの雄弁家を生む。 では、日本語で、雄弁家のように長々と喋るとなると... 続きをみる
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帝政ロシア末期、停滞しきった活力のない社会を背景に、後は、消え去るのみの没落地主の貴族とその配下の者たち。チェーホフは、じつに澄み切ったまなざしで、彼ら、運命に押し流されていく役割の終わった人間たちの姿を描きます。劇の最後、溜め息のように登場人物が自身につぶやく「この出来そこないめが。」というセリ... 続きをみる
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ごくありふれた平凡な役人イワン・イリッチは、人生においても平凡な楽しみと平凡な苦労の連なりでしかない生活を送り、また、それに満足しきっていました。その彼が、ふとしたはずみの事故で、死に至る難病におかされます。トルストイは、この死に直面した平凡人を、時に残酷とさえ思えるような迫真の筆致で、正確無比に... 続きをみる
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権力が一点に集中するとき、どんなものが出来上がるのか見本のようなものである。 今になって人々が嘆賞しているが、当時の人々は、ああいうものを作り上げるために、どれほど苛酷な労働を強いられたかを想像してみる人がいないのは、わたしには意外に思えてならない。 兵馬俑の壮観よりも、この俑が歴史の文献から完全... 続きをみる
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