Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ サンタクロース考 <人生が与えてくれるもの>

確か、アメリカだったと記憶しているが、サンタクロースは、居るか居ないかと、小さな女の子が真剣に、新聞社に投書した。その新聞社内では、アウトローであった男が、君の友達は間違っている、見えるものだけを信じてはならないと、真面目に答え、女の子は納得し、その新聞紙上に載った返答が、話題になったという逸話がある。


サンタクロースがやって来るのが、聖書には記述のないキリストの生誕日と重なっていることに留意されたい。それも、一年中で一番、日の短い冬至の間近の日であることも興味深い。


サンタクロースは、子どもだけに関係する日ではない。およそ、人生が、われわれに与えてくれるものを、かんがえてみれば良い。ある人は、ほとんど労苦もしないまま、優雅な生活を与えられたかもしれない。また、ある人は、塗炭の苦しみに喘ぎながらも、人生からは、ほんの少しのものしか、与えられなかったかも知れない。


「心貧しき者こそ幸いなれ」とは、単なるパラドックスではない。人生の実相そのものなのだ。「死の家の記録」には、あらくれ男の囚人達が、クリスマスの日に、まるで子どものように、奇跡を待ちわびる様が描かれている。心貧しき者には、心がそのように働かざるを得ない日なのである。


ところで、キリスト教徒でもないのに、メリー・クリスマスとは如何なものかと言う、根深い俗見がある。これは、宗教は、キリスト教しかないと信じて止まない人の言葉である。


日本は、他の宗教なり思想なりの本質を、そのまま、我がものにしてしまうのに、長けた国である。仏教然り、儒教然り、そして、キリスト教も、また然りである。


キリスト教のことを言うなら、仏教のことも避けて言うことは出来ない筈である。顧みれば、じつに、生活に深く入り込んでいる様が見て取れるだろう。


もっとも、貧しい日に贈られるプレゼント。何度も言うが、単なるパラドックスではないのである。