太平洋戦争直後、多くの日本兵が、当時のソ連邦に、シベリア抑留となりました。その中で、一際、異彩を放った、一部隊がありました。ウズベキスタンのタシケントに、ボリショイ劇場建設のために、集められた永田行夫大尉率いる、第四収容所の面々でした。彼らは、どうせ、すぐには帰国<ダモイ>できないのならと、捕虜の... 続きをみる
おすすめ本のブログ記事
おすすめ本(ムラゴンブログ全体)-
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この書だったと記憶しているが、上方の俳句と江戸の俳句を比べ、情に流れ易い上方と理が先行しがちな江戸とを比較して、結論として、芭蕉などの抜群の俳句は、その両者を生かして、どちらの句とも言えない境地に達していると、書いていたと覚えている。 わたしには、とても面白い論のように思えるのだが。わたしなどの句... 続きをみる
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「無常という事」の連作の一つである「実朝」は、若い頃のわたしには、この連作の中で、もっとも難解で、また、もっとも暗く感じられた作品だった。 「無常という事」の連作の中では、「西行」が、その頃のわたしには、一番心に響き、もっとも、好きな章の一つだった。「西行」も「実朝」も、何回読み返したか知れないほ... 続きをみる
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カラマーゾフの兄弟のフョードルは、ドストエフスキーが描いた中でも、もっとも堕落した人間である。 自分一人で酒を飲み、酔った勢いで、息子たちと話をするだけで、この怪物は、殺しでもしない限り、善人を貶しめ、嘲笑い、辱めることを決して止めないだろうと思わせるようなものがある。 それで、表題に掲げたこの男... 続きをみる
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上掲の人は、横綱審議委員も務めたこともある、ドイツ文学の研究者で、今の人には、耳遠く感じられる人であるのは、間違いない。 もう、亡くなってから、何年経つであろうか、という人である。ただ、新潮文庫のフロイトの「夢判断」と「精神分析入門」の訳者は、今も、この人の筈だから、少し教養のある人には、それで通... 続きをみる
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不思議な本である。 西洋音楽史とLP盤のクラシック名演奏集が一体になったような本であるが、およそ、この本の半分を割いている、バッハ以前のクラシックにのLP盤は、この本が新潮社から発刊されている頃に、すでに、ほとんど廃盤になっている。 わたしは、何を隠そう、この本で、クラシック音楽を聴く、手ほどきを... 続きをみる
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わたしは、少々長い題名をブログ名にしていて、このブログを読む方を、若干戸惑わせているかとも、思っているが、なにせ、わたしは束縛されたり命令されたりするのが大嫌いで、自分のやりたいことを自分勝手にできる、このブログという形式は、とても気に入っている。 二宮尊徳は、本について、こうしたことを言っている... 続きをみる
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小林の作品の中では、何でもないように見える、文庫本で、僅か、数ページほどの短文ですが、よく、これほど短い文章の中に、美食に関する充実した内容が盛り込めるものか、と思えるくらいの、じつに、筆力が漲った随筆です。小林の晩年には、正宗白鳥という自然主義作家についての数行ほどの、批評文があるのですが、正宗... 続きをみる
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大戦後間もない、当時の仏教界に、非常な衝撃を与えた書物です。小林は講演の名手でもありました。この書は、その小林が行った、様々な講演を一丸として、発表したものです。小林は、仏教に関しても非常な造詣を持っていました。論は「人生観」の「観」という一字を巡って、西洋思想も引き合いにされながら、この一見、何... 続きをみる
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この本については、わたしはまだ、「子」の章しか読んでいないので、「おすすめ本」の中に入れるのは、気が引けるが、一応、わたしなりの理由とともに、この本を取り上げることについて語ってみたい。 南方熊楠の著作は、どれも本格的な学術書であって、いわゆる、一般読者層を対象とした読み物とは、まるで違うことを、... 続きをみる
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題名が思い出せなくて、申し訳ありませんが、マンの短編集の巻頭にある、強い印象を残さずにはいない、短編小説です。公園のベンチで、偶然出会った老人から、人生の話を聞くという体裁で、その老人は、社会に出たときも、結婚をしたときも、子どもが生まれたときも、病気から治ったときでさえも「それで、どうしたという... 続きをみる
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秋の田の刈り穂の庵の苫をあらみわが衣手は露に濡れつつ 巻頭第一の天智天皇の御歌であるが、ある小倉百人一首の本を読んでいたら、この田の刈り番をする歌は、身分の低い農民の歌だとする解に出会った。 わたしは、この解にはまったく不審であった。大岡信の恋歌とする解も頂けなかったが、良い所まで、行っている解な... 続きをみる
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中秋の名月が過ぎた。 そこで、この文章を書こうと思い立った。小林秀雄に「お月見」<考えるヒント>という卓抜な短文がある。 あらましを言うと、あるとき宴会を開き、若い人たちも一緒にワイワイとやっていたが、ちょうど中秋の名月の晩であったことを知る。誰からと言うこともなく、みんなが月を見上げ、黙り込んで... 続きをみる
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古い本ですから、今はネットでしか買えないと思いますが、前知識人たちや有名人たちの食・お通じ・睡眠についての、腹蔵の無い告白を、それぞれが短文に認めた文章を一冊の本にまとめたものです。三日間物を食わずに、三日目にその分の食事をゆっくりと摂るという伊丹十三の話。酒を飲むとき、自分の内臓と愉快な相談をす... 続きをみる
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わたしは、小倉百人一首については、一般的な解説書の類いの本と大岡信のものを読み、大岡の本は得るところが大きかったが、この歌抄を全体として、掴んでいるかどうかということについては、疑問が残った。直言すると、大岡の読みは、恋愛というものに偏りすぎているように思えたのである。他の解説書では、この歌抄のそ... 続きをみる
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「『須磨』を読まずに、源氏を語るな」とは、昔から、源氏物語について言われてきた忠告である。 この忠告を、わたしはこのように取る。「須磨」を経て、光源氏はいよいよ、女には手放せない男になったと。 有名な、雷が源氏のすぐそばの柱に落ちる場面は、非常な迫真力をもって書かれる。左遷された源氏が、尚も、試練... 続きをみる
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わたしは、ブログに「尊敬する芸術家」として、小林秀雄を挙げているが、これは嘘偽りのないことで、ほとんど毎日、小林秀雄のことをかんがえない日は、ないくらいなのである。 だが、わたしは小林秀雄の本は、「おすすめ本」の中には2つしか入れていない。それも、主著ではない。これには訳がある。 前の記事にも、書... 続きをみる
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この「天皇の世紀」は、わたしは高校生の時から読みはじめたのだが、今に至るまで未だに、読み終わっていない。昔、朝日文庫で出ているものを、全巻買って、読みはじめ、第1巻はなんなく読めた。(実は、第1巻だけで止めてしまう人が、多い本なのである。因みに、この本は全17巻あって、著者の病没のために、戊辰の役... 続きをみる
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「罪と罰」は、当時のロシアで大評判を取った、ドストエフスキーが一番成功した小説で、ドストエフスキーの中では、最も有名な、また題名だけでも、何かを暗示しているような感のある本なので、一度は読んでみようという気になる人が多く、実際、読まれているのだが、さて、最後まで読んで、あの強烈な感動を味わったとい... 続きをみる
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エッセイ 「ドン・キホーテ<前編・後編>」セルバンテス <読書経験> 2
<続き> そうして、振り返って思えば、どこにでもいるような平凡な田舎娘を、貴婦人のドゥルシネーアとして、ここまで思い詰めることができる男とは、本当の阿呆ではないかという思いがどこかで過る。本で頭を焼かれた男。まさしく作者セルバンテスの狙ったところであろう。 「ドン・キホーテ」に見られる、数々の滑稽... 続きをみる
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エッセイ 「ドン・キホーテ<前編・後編>」セルバンテス <読書経験> 1
わたしは、読んだ本は、いつ頃読んだのかよく憶えている方なのだが、この「ドン・キホーテ」については、何歳ころに読んだのかほとんど記憶がない。おそらく、学生時代に読んだと思うが、不思議と内容については、よく覚えている。 まず、岩波少年文庫版の抄訳の「ドン・キホーテ」を読み、だが、それでは「ドン・キホー... 続きをみる
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岩波少年文庫に入っている本であるが、少年文庫に入っているのが惜しいくらい内容が充実した本である。 わたしは、福永武彦という人は小説家であることだけは知っているが、他の本は読んだことがない。だからこれは、推測になってしまうのだが、おそらくこの著者の中で、最も良い本の一つだろうと勝手にかんがえている。... 続きをみる
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わたしが読んだ中で、もっとも深刻な表現力を持っていると感じたのは、ダンテの「神曲」であった。もちろん翻訳ではあるが、言語表現とは、これほどまでに力強いものかと、舌を巻き、恐懼したものだった。 地獄篇の最初の方に、およそ2ページにわたるほどの長い比喩がある。地獄の空気が濃厚に漂う中、まるで一服の休息... 続きをみる
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わたしは「おすすめ本」の中では、白水社イデー選書の本を薦めているが、それには理由がある。2001年5月に、岩波文庫で新訳が出て、当時、それに飛びつくようにして勇んで読んだのだが、まったく辟易してしまった。 ベルクソンは一体何を言いたかったのか、さっぱり分からない訳になっていた。苦労して、最後まで読... 続きをみる
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「人間はどこでもいいが、どこか一つ行くところがなければ適わないものだ。」 これは「罪と罰」の中でマルメラードフという酔漢が、行きつけの飲み屋で、人に絡むときに、口癖にしている言葉である。 ドストエフスキーは、自身の重要な思想を、好んで変人や奇人の登場人物に喋らせる書き方をするのだが、これもその一つ... 続きをみる
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本居宣長の政治論文です。「玉くしげ」のような後世に残るほどの政治論文をものしたのは、当時の学者の中でも、宣長ぐらいでしょう。ここで、宣長は誰憚ることなく、自分の所信を開陳します。殊に、百姓一揆についての情理を尽くした推論は、まことに説得力のあるもので、「今の世に取り沙汰あることは、少しも、下の責に... 続きをみる
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幕末から明治期にかけて活躍した勝海舟と榎本武揚を批判した書です。「痩せ我慢」とは、武士道を福沢流に言い換えたもので、これ以上、武士道を下落させる必要はないという、きっぱりとした言葉です。福沢は勝と榎本の両者を、旧幕臣の身であったにも関わらず、新政府の仲間入りをし高禄を食んでいるとは何事であるかと批... 続きをみる
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アランの「幸福論」は、簡潔で、また物事の急所をよく突いた文章が、散見できるのだが、その中でも圧巻なのが、人生の奥義とでも言うべきものを語るところであろう。 アランは言う。「人生の奥義とは、自分が本当に得たいと思っているものを欲することである。」と。アランは、続けてこう言う。「わたしが言うのは、本当... 続きをみる
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あまりにも高名な本ですが、この書だけで、福澤の思想を代表させるには、少し無理があるようです。福澤の思想の本領が発揮されるのは、やはり「文明論之概略」や「福翁自伝」においてである、というのが撰者のかんがえです。「学問のススメ」で、福澤は、新時代の徳というものを列挙します。軽薄は鋭敏に、鈍感は重厚に、... 続きをみる
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名高い本ですが、西郷は、書を世に問おうとする意思を、まるで持っていなかった人だということを忘れてはならないでしょう。この書は、ある藩での西郷の講義筆録をまとめた小さな本ですが、読み方は少々難しい本であると、撰者には思われます。蒸気機関や電信などの、当時最新の技術を何のために取り入れるのかというよう... 続きをみる
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アランは若い頃に、神経症を病んだ経験がある。その病いの最中に自ら軍役を志願し、自力で神経症を克服したという経歴の持ち主である。 「幸福論」の第一の特徴と言えるのは、非凡な文章力で、読者を、誰にでも覚えがあるような神経症的な症状に導いていって、そこから、どのように抜け出すのが最良なのかを、克明に描い... 続きをみる
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諸外国、特に欧米諸国では、インタビュー本というのはありますが、対談形式の書物というのは、ほとんどないそうです。対談ではなく論争という形になってしまうのが、その主な原因だそうです。自分というものを失うことなく、相手に合わせることができる日本人ならではの文芸形式といっていいかも知れません。そうして、著... 続きをみる
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未完に終わった井筒最晩年の著作です。井筒の教養は破格です。およそ考えられる限りの人文的教養を身につけた人と言って良く、その深さと広さは脅威と表現しても、大げさではないくらいです。その井筒が、最後に手がけたのが、中国成立説が有力な「大乗起信論」という仏典をめぐるこの論考であったことは、何か不思議の感... 続きをみる
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井筒の若年の頃のロシア近代文学についての論考です。驚くべきことに井筒は、取り上げられた文献をほとんどすべてロシア語の原著で読んでいます。プーシキンを先駆として、中には、あまり聞き慣れない作家の名前も出て来ます。ロシア近代文学を総覧し、井筒独自の解釈をして見せます。トルストイでは、その作品よりも人物... 続きをみる
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トランプ賭博に憑かれた男の人生を、活写して見せた小説です。なぜか、まるで不気味な人間のように出没するスペードの女王のカードに、男は気がかりな思いを持ち続けます。そうして、男の人生を賭けた、ここぞという勝負のクライマックスで、男を嘲笑うかのように、スペードの女王が出現し、賭けに大負けし、男は発狂しま... 続きをみる
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文芸評論家の小林秀雄は座談の名手でもありました。文学者同士の対談だけではなく、戦後まもなく行われた物理学者湯川秀樹との対談もあります。理系文系の枠を越えた小林のじつに広い教養の幅を伺わせます。この書は、世界的な数学者岡潔と、多岐にわたる分野について、縦横に語り合った対談です。書中、「現在、知は、世... 続きをみる
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ロシア近代文学の祖、プーシキンの代表作です。この書には、ドストエフスキーの有名な講演筆録があります。「人類苦」を自ら担ったと標榜している余計者のインテリゲンチャ、オネーギンに一度は惹かれるが、そのインテリの上っ滑りな心を見抜いたターチヤナという迫害された女性にこそ、本来の人間の心があるというのです... 続きをみる
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西洋音楽に精通し、よくよく総覧した著者は、音楽には、よく言われるような「進歩」や「進化」などというものはなく、あるのは「メタモルフォーゼン<変容>」であると結論付けます。このことは音楽に限らず、芸術一般においても敷衍して言えることなのかも知れません。指揮者や音楽評論家としても活躍した著者の優れた音... 続きをみる
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フランスのモラリスト、アランの「幸福論」は名高い本だが、文庫本で三百ページほどに過ぎないこの本は、じつに見事な観察眼や思考がぎっしりと詰まった本で、わたしは、十数回ほど読んだのだが、まだ、読み足りないと思っている。 例を挙げると、もうこの時代に、列車の車窓の眺めが素晴らしいことと、しかもその眺めは... 続きをみる
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カトリックに改心したヴェルレーヌの宗教的な秘儀というべきものを伝える名詩編です。訳者の河上徹太郎は小林秀雄の生涯を通した友人でした。河上はこの書を読み、カトリックに入信する決断をしたと言っています。詩中、ヴェルレーヌは、はげしく神を探し求めます。けれども、その彼の道は、神こそが、それを切り開いてき... 続きをみる
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日本の現代詩のアンソロジーです。編者が選んだ現代詩人たちから、特に編者の心に響いた現代詩を各々四、五編ずつ取り上げ、一冊に仕上げた書物です。およそ、選ばれた詩人たちのもっとも出来の良い詩群を手軽に読むことができるように工夫された感があり、日本の現代詩に興味のある人には、とても優れたアンソロジーにな... 続きをみる
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モーパッサンの小説の登場人物は、どの人物を取り上げてみても、人間の血と体温を感じさせ、その人の顔や姿さえも、はっきりと分かるように書かれたもので、これは著者の想像力が、いかに並外れて力強く血肉を伴ったものであるかを思わせるものです。この小説は、ある娼家のなんでもないような出来事を取り扱ったものです... 続きをみる
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この小説は、やはり小説家である師匠のフローベルから絶賛されたと伝えられています。人の良い愛国心に溢れたフランス人の娼婦が、戦争状態にあるドイツ人の将校に辱められ、フランスの貴族からも指弾を受けるという話柄で、物語の最後に、ある男の口ずさむフランス国歌が、象徴的でさえあるとフローベルは誉めるのですが... 続きをみる
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悪漢小説です。「ベラミ」は「きれいなおじさん」という意味です。軍役を終えたが、さして取り柄のないベラミと名付けられた主人公は、友人に薦められて、新聞記者となります。その後、自分の美貌を武器に次々と女を踏み台にして出世していきます。出世のためなら、自分に尽くしてくれた女を巧みに裏切ることも、殴ること... 続きをみる
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この書の題名には、少々不審に思う人が居るかもしれません。俳句という文芸には、解し方や味わい方まであるのか、自由に解し自由に味わえば、それで良いではないかというように。それも、もっともな考え方なのですが、俳句というのは、とても狭い道を行く文芸だということを、忘れないで欲しいと思います。虚子は、さらに... 続きをみる
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ユングはフロイトとなにげない会話を交わしているとき、不意に、フロイトから「転移をどう思うか?」と聞かれ、ユングは「それは心理療法のアルファでありオメガです。」と応え、それに対しフロイトは「そうか、それなら、肝心なことは分かっているという訳だ。」と応じたという逸話が残っています。転移とは精神分析学の... 続きをみる
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ドストエフスキーの大小説によく見られるのですが、極限にまで紛糾したと思わせる男女間の心理のせめぎ合いが、この短編小説では、まことにコンパクトに、けれども克明に描き出されます。自分でも知らぬ間に、新妻の心を、ぎりぎりにまで追い詰めてしまった金貸しを生業とする男は、自ら命を絶った主人公のおとなしい妻の... 続きをみる
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ユング初期の傑作論考です。連想実験とは、被験者に「赤、水、死」などの刺激語を提示し、それから自由に連想する言葉を言ってもらうことで、その被験者の心の状態を調べるというものですが、ユングは、ここで、被験者が刺激語を与えられてから、回答するまでのわずかな時間に注目します。その時間を正確に測ることで、被... 続きをみる
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ユングはごく若い頃から、超常現象といわれているものとは親しいものだったと、自伝の中で語っています。この書はユングの最晩年に書かれました。いわゆる「UFO」を深層心理学の立場から、しごく真面目に、しかも、学究的に考察した他に類例を見ない書物です。緒言には、占星学から論究された21世紀における世界観を... 続きをみる
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ユング心理学への入門書です。ユングとその弟子たちによる共著という体裁を採っています。ユングの心理学はイメージの心理学とも言われますが、多くの写真や図柄が豊富に採録され、ユング心理学への格好な導きの書物になっています。ユングの弟子たちには優秀な人材が多く、それぞれでも、盛んに優れた書物を著しています... 続きをみる
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この小説は、「貧しき人々」の直後に書かれました。傑作かどうかは、判じかねるような作品ですが、ドストエフスキー自身は「『貧しき人々』より十倍優れた作品だ」と高言しています。ドストエフスキー自身の不思議な心の有り様が全面に溢れ出た作品と言って良く、複雑怪奇な心理の糸が、肉感性を持って、二重人格の主人公... 続きをみる
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当時のロシアの批評家ベリンスキーから絶賛された、ドストエフスキーの処女作です。著者の終生のモチーフの一つとなった虐げられた貧しい人々の秘められた美しい心情が、じつに見事に描かれます。この小説は、時間的にとても精緻に構成されていて、後年のドストエフスキーに見られる小説上の時間における革新性の萌芽を思... 続きをみる
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織田信長についての第一級史料とされる高名な歴史書の現代語訳です。この書に拠ると、信長は頭角を現すずっと以前から、天下を取る男に違いないと見巧者たちからは見られていたそうです。太田は、徹底した事実調査と私心を廃した目とで、具に、信長の為人と事跡を書いたと言います。この書は、信長の姿をまさしく浮き彫り... 続きをみる
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この短編小説は、いわゆるドストエフスキーらしい心理観察眼というものを、まるで感じさせないものです。作中、老婆は忽焉と息を引き取ります。天寿を全うした老婆の死は、誰にも悲しみを与えません。死ぬ直前の老婆は、しきりに自分の曾孫のコートの丈が少しばかり短いことを気にしていましたが、もう誰もそんなことを気... 続きをみる
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ベルクソンは言葉による解決を放棄してから、哲学を始めたと言っています。この書は、西洋哲学を総覧した著者が、なにゆえ哲学は、さまざまな学派に分かれなければならないのかという盲点をするどく突き、言葉による概念上の分析が、そのことに深く関わっている様をあぶり出していきます。言表不可能な直観を哲学の第一義... 続きをみる
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アランは二十才まで正式な音楽を聞いたことがなかったと言っています。この書は、そのアランが音楽についての造詣を深め、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを素材として、縦横に語った書物です。調についてのそれぞれの興味深い性格付けが為されていますが、アランは、調の性格付けがもっともむずかしい仕事だったと... 続きをみる
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ベルクソンの遺書と言える著作です。聖書に由来する神とギリシア哲学における神々とが混交してしまった西洋哲学の弱点とも言える神観念をきれいに解きほぐして行きます。ベルクソンは決して難問を一挙に解決することを望みません。着実な一歩を進め、後は後世の哲学に託そうとします。この著作の最後で「人類はまだ自分た... 続きをみる
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日本近代の自然主義小説家正宗白鳥の最晩年の短篇集です。どの編も枯れ切った、宗教的な雰囲気さえ漂う名篇になっています。白鳥の文章は、味も素っ気もないもので、まるで活字そのものを読んでいるような気にさせられますが、そのために作品の純度は非常な高さに達するものがあります。白鳥は、若い頃キリスト教に入信し... 続きをみる
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ここには、日本人が感じる情感を伴った「四季」とは、まるで異なった欧米人の感じる「四季」の姿があります。われわれに寄り添い、豊かな恵みを与えてくれる「四季」ではなく、はっきりと、それに対抗し、武装する必要さえある「四季」が克明に描かれていきます。聖書の記述に見える、イエスが、季節ではないいちじくに向... 続きをみる
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現在、科学でもっとも分からない分野は、微生物の世界だと言われています。一つの砂粒の中に、一億個以上いる微生物の、その無限の無限を探求する必要があるからだそうです。本書は、その微生物研究の先駆けとなった、当時最先端の顕微鏡を用い、詳細にその不思議な姿を描いて見せたレーエンフェックをはじめとして、有名... 続きをみる
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人間性とはいいますが、これほど偉大でまっさらな心情を持った作中人物は他にいないでしょう。著者のセルバンテスは、この書のために、風俗紊乱罪で投獄されています。現代の視点から見れば、滑稽なほどの法律の乱用に見えますが、著者の有名な「ドン・キホーテは私だ。」という裁判での弁明の言葉は、その後の文学の脊髄... 続きをみる
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シェイクスピアの作品の中でも、もっとも爛熟し退嬰的な気配の漂う、通好みの作品です。家来や召し使いたちは主人公たちより潔く、次々と自ら命を絶っていきます。残された彼らには、背徳の影が色濃く忍び寄ります。大人同士の恋愛悲劇とは、かくあるものかと、読者は、熟れ過ぎた果実をほおばるように、その頽廃した複雑... 続きをみる
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この小説のモデルは、アウシュヴィッツの強制収容所で、自ら、ある男の身代わりになって、獄死したコルベ神父だとされています。一般社会では、愚図で愚鈍な男という烙印を押されていたこの神父は、遠藤周作の心を強く揺さぶり、この小説の得難いモチーフとなりました。まるで、敬虔なカトリック作家遠藤周作と人を笑わせ... 続きをみる
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日本中世の王朝文学「とりかへばや物語」を、まったく新しい角度から切り込んだ河合隼雄渾身の性の劇です。男らしい女を男として、女らしい男を女として育てるという、この物語の趣向は、荒唐無稽なおとぎ話としての価値しか持っていなかったという頑固な常識的見解をはるかに越えて、論は進行していきます。性差とは何か... 続きをみる
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この書は、現在、世界中の美術家の間で読まれている書物です。書中「日本人は障子に遮られて、生気を失った、死んだような日の光を愛した」という言葉は、撰者には、自分の日本人としての心の小暗い深所を、まるで懐中電灯ででも照らされたかのように、あっと驚いたものでした。日本文化を語るときには、欠かせない書物の... 続きをみる
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この本は、受験に役立つ本ではありません。日本文学の脊髄を作り上げてきた文学を和歌に見、その歴史伝統について論じた本です。著者の着眼は正鵠を射ていると言っていいでしょう。著者の丸谷才一は、いままで、だれも気がつかなかったことに気がつくのが得意な人で、この本もそうした著者ならではの眼光が光っています。... 続きをみる
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司馬遼太郎が、各界の人物たちと文化、国家について縦横に語った対談集です。巻頭の井筒俊彦との対談が選者には、一番おもしろく読めましたが、それぞれに知的刺激に溢れた対談群です。司馬は国民的に人気のある作家ですが、その司馬の等身大の姿が見えてくる得難い書物です。司馬遼太郎は、単に人気があるだけの作家では... 続きをみる
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歌人種田山頭火を描いたフィクションです。わたしの好みからいくと丸谷の中でもっともよい小説ではないかと思われます。「横しぐれ」という一語を文学史的に繙いていって、旅先で偶然出会った山頭火に「なるほど、これで十分なわけですな」と言わせます。「横時雨」はこの一語で成立している「うた」で、古来から歌の師匠... 続きをみる
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ドストエフスキーの心理観察眼が縦横無尽に極限まで達したかと見える小説です。一人の未成年に語らせるという形式を取り、「悪霊」の直後に書かれ、「カラマーゾフの兄弟」への踏み台となったこの小説は、ドストエフスキーの最も得意な分野である複雑怪奇な心理世界を余すところなく書き尽くしているようです。小説の最後... 続きをみる
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ドストエフスキーは、自身を省みて「私はあらゆることにおいて限度を踏み越える人間だった」と述懐しています。ルーレットにはまると、靴下まで賭けてしまうという始末でした。この作品はドストエフスキーが口述したことを筆記し、即製されたものです。借金を返すためのやむを得ない事情からでしたが、賭博者というものは... 続きをみる
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丸谷才一は先年亡くなりましたが、現代小説家として、通好みの小説ファンが多かった人です。「小説家としては学問があり過ぎ、学者としては想像力があり過ぎる」と言われたほど博識な小説家でした。この小説はまだ女を知らない青年と可憐な生娘との初体験がテーマです。うぶ同士の若い男女の交渉はよく書かれていて、微笑... 続きをみる
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小型爆弾と言ってよい本です。「罪と罰」の直前に書かれました。ドストエフスキーは人物としてはとても意地が悪く、付き合う人々を困らせずにはいない厄介な人である上に、至極純良な心を持っているというじつに複雑な心の持ち主でした。「ぼくは病んだ人間だ。意地の悪い人間だ。」という出だしで始まるこの小説は、その... 続きをみる
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小林初期の数十ページほどの短文です。初期の小林らしい江戸っ子気質が窺える威勢のいい啖呵を切ったような文章ですが、わたしは若い頃この短文を読み、どれほど勇気づけられ励まされたか知れません。この短文は最後にこう締め括られています。「良書は、どのような良書であれ、たった一つのことしか語っていはしない。君... 続きをみる
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ヴァレリーは、ベルクソンやアランと並ぶ同時代の哲学者で、詩人でもあり批評家でもありました。明晰な純粋意識を徹底して実験して見せた『テスト氏』は、数学的な意識研究報告書といっていいものです。『ドガ・ダンス・デッサン』では親交のあった画家ドガの言葉をモチーフに、批評文のあらゆる可能性が試され、深遠な哲... 続きをみる
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精神と脳との関係は、パラレルではないことを結論づけた哲学史上画期的な論攷です。ベルクソンはこの著作のために長年失語症の研究を行いました。その知見の上で、脳は現実世界に対する注意の器官であって、記憶を司っているのは精神であると述べ、両者は確かに密接な関係にあるが、決して厳密な対応関係にはないと論じま... 続きをみる
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重厚で難解な著作の多いベルクソンの中では、比較的軽いと言ってよい論考ですが、ベルクソンの並外れた直観力と鋭敏な分析力が十分に味わえる「笑い」についての卓越した名著です。笑いの本源的な勘所を「こわばり」に見、この一見なんでもないように思える言葉を取り上げ、するどくたくましい分析力によって笑いの本質そ... 続きをみる
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シェイクスピアの作品の登場人物の中では、年齢が特定されている人物は数名ほどですが、ジュリエットはその中でもはっきりと十四才とされています。これは真剣な恋愛をするのには十四才で十分だということを物語っているようです。この「ロミオとジュリエット」は、悲劇と喜劇との境を紙一重の差で行き来するように見えま... 続きをみる
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シェイクスピアのギリシア政治劇です。「ブルータスお前もか。」の名台詞が見えます。シェイクスピアの中ではもっとも男らしい剛毅果断な悲劇と言っていいでしょう。作中「あの男はおそろしい、何を考えているか分からぬ。あの男は痩せているからだ。」という文句は、後世の心理学者クレッチマーを刺激して、今でも人々に... 続きをみる
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シェイクスピアの作品にはおよそ必ずと言っていいほど原作となる種本があるのですが、この劇には筋となる種本がないそうです。まさしく真夏の夜に見る夢のような筋書きのない劇が進行します。劇が終わった後には、じつにあざやかな夢から覚めたような気持ちにさせられます。シェイクスピアは詩人としてその経歴をスタート... 続きをみる
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シェイクスピアの前期の喜劇です。シェイクスピアと言えば、ハムレットなどの四大悲劇を中心に考えますが、この見方は、実は、ロマン主義文学台頭の時代以降のもので、それ以前の時代のシェイクスピア観では、中期の四大悲劇よりも、前期の喜劇の方が、優れているとされていました。この「お気に召すまま」では、人間は自... 続きをみる
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戦後思想を代表する著者が、晩年、若い人に向けて書いたエッセーです。いわゆる処世法と言っていいものですが、世にいう処世術とはひと味違います。吉本の長年に渡って、戦後思想に心を砕いてきた思想家としての裏付けがあるからでしょう。雅俗が奇妙に混交する著者の思想が、ようやく晩年になって、得心のいく表現法を見... 続きをみる
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戦後を代表する総理大臣吉田茂は、第一級の政治家だったと言っていいでしょう。この書はその吉田と交友のあった今が、慎重に公平な視点で描いた等身大の吉田茂像です。著者の今は親友の小林秀雄から吉田のことを菊池寛と似ていないかと聞かれたとき、「うまそうな葉巻を吸っていたから、一本くれと言ったら、くれたよ。そ... 続きをみる
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大人物トルストイの幼年期の溌剌とした感受性を伝える得難い名著です。トルストイの父母は、トルストイがごく幼いころ、死に別れしましたが、貴族の家の中で、なに不自由なく育てられたと伝記は伝えています。ここには、幼年時代の少年らしさが、まことに飾り気なく、まっすぐな幸福感に満ちた感情で表現され、後年の苦悩... 続きをみる
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高橋義孝は、ドイツ文学者です。フロイトの主著などの名訳があります。相撲がたいへん好きな人で、晩年には横綱審議委員なども務めています。この本は、その著者が日頃の雑感を集めたもので、「わたしは、一日に一度は辞書を開かない人間を信用できない」という言葉から、著者の並々ならない言葉への愛着が感じられます。... 続きをみる
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林達夫はフランス文学者で、まとまった著作がほとんどない人でした。この書物も、雑多な文章を集めたものと言ってよく、どれも書き流された感がありますが、そのために発想は自由で自在、ときにきらめくような文章に出会います。哲学者の三木清とも交流があり、その経緯を書いた文章が他の書物に見えます。日本のモラリス... 続きをみる
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村上の処女作です。ねずみと呼ばれる奇妙な男が登場しますが、曰く言いがたいリアリティーを持った男です。「羊をめぐる冒険」でも、やはりこのねずみが登場するのですが、村上の内面の心と切っても切れない関係を持った物語上の登場人物であることは、論をまちません。その内面の分析よりも、むしろ、その風の歌のような... 続きをみる
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「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹 新潮文庫
この小説も二つの物語が、同時進行します。ユニコーンと言われる一角獣の骨の標本が、二つの話をつなぐ支点となっていますが、両話がどう繋がっているのかは、読者の判断に委せられているようです。ハードボイルドと静かな物語。ここで、村上の言いたかったというようなことを憶測するのは、野暮というものでしょう。村上... 続きをみる
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ある意味で、勧善懲悪的な物語と言っていいのですが、村上の語り口には、真新しさがあります。かなり残酷な場面が精細に描かれるのですが、読む者は、むしろ、目を背けることなく、作者と一緒になって、そうした場面が展開していくのに見入ってしまうようです。物語が終わった後は、明るい悪夢から目覚めたような気にさせ... 続きをみる
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15才の少年が主人公です。猫と話せる中田さんも忘れがたい副主人公です。村上の文体には明るさがあります。これは、村上の確固とした人柄から直に来ているもののように感じられます。この「海辺のカフカ」では、フロイトやユングの深層心理学から得られた知見を十分に活用し、それを間然とすることのない物語に熟なして... 続きをみる
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ノーベル文学賞との噂の高い、村上春樹の初期の作品です。読む人の意表を突く巧みで斬新な比喩と、テンポの良いきびきびとした文体を用い、読む者をファンタジーとリアリズムの交錯する世界に引き入れます。村上ワールドと言われていますが、およそ、日本の近代文学には、その著者の家風に馴染まないと、読んでいけないよ... 続きをみる
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田中美知太郎はギリシア哲学が専門の哲学者です。この人は、実のところ、ソクラテスにしか本当の興味を抱かなかった生まれながらの哲学者だった人と言っていいでしょう。プラトンの著作の数多くの名訳があります。剛直な論理の使い手で、西洋哲学を自分のものにするためには、三段論法を本当にしっかりやらなければならな... 続きをみる
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この歴史には、固有名詞がまるで出てきません。柳田は、ある特別の人物に焦点を当てなくても、歴史を書くことができるという信念のもと、「常人」と柳田が言う普通一般の人々を考察の対象とし、見事に明治から大正にわたる歴史を書き上げました。書中、「日本人は開国以来、軽度の興奮状態にあるのではないか」という言葉... 続きをみる
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ライシャワーは、もっとも有名で人気のあったアメリカの駐日大使でした。日本人よりも、日本のことをよく知っているのではないかと思われるくらいの日本通でした。この書は、そのライシャワーがどのような立場にも偏らず、ことばの確かな意味で客観的に、日本人についてその良否両面を明確に申し立てた、見識の高い日本人... 続きをみる
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菊池寛が、同郷の偉人弘法大師の「十住心論」を学んで書いた書物です。菊池は、真言宗弘法大師の特に「即身成仏」の思想に注目します。これは、人間に非常な勇気を与える思想ではないかと感服します。菊池は、「弘法大師の小説も戯曲も書けなかった。しかし書こうと努めたおかげで、弘法大師のことをいろいろ知ることがで... 続きをみる
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本当の著者は山本七平だと言われていますが、名著として名高い日本人論です。ユダヤ人から見た日本人という奇抜な発想がとられています。この書の中で、ベンダサンは日本人の思考法に触れ、パチパチ珠を弾くソロバンになぞらえて、日本人は頭の中に語呂盤を持っていると言っています。論理思考よりも直感的な思考を得意と... 続きをみる
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失恋の深い心の傷手をどう癒やしたらよいのか。この人間にとって永遠の課題に唯一応えられる書物が本書でしょう。この書は、実際に真剣な恋愛におちいり、その恋に破れた若い女性が書いた手紙をそのまま本にしたものです。ここにあらわされた恋愛感情は誰のこころも打たずにはおかない真率なもので、読む者を強く揺さぶら... 続きをみる
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子規晩年の四部作の中の一つです。子規は36歳で結核で世を去りましたが、この病気の特徴で、意識は臨終の最後まではっきりとしていました。子規の文体は、その死病に冒されていたと思えないような驚くほど乱れのない、健康そのものの精神を伝えるもので、しかも若年で世を去ったにも関わらず、円熟さえしています。子規... 続きをみる