Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 働くということ 6 <閉鎖環境での労働>

ドストエフスキーの「死の家の記録」の中に、廃船解体を命じられる囚人たちの話がある。労働ということについて、かんがえあぐねていて、どうしても、この話がしたくて、仕方がない気になったので、要約して、引用してみることにしたい。この話は、小説ではあるが、ドストエフスキー自身が、間近で見聞したに相違ない、実話である。


監獄内の囚人たちのある一団が、廃船の解体を命じられた。この作業は、廃船を解体し、国中どこにでもある木製の廃材を積み上げる作業である。


どこにでもある廃材のため、二束三文の足しにもならない。囚人たちは、そのことをよく知っていて、作業に就いてもまったくやる気が無く、のろまで愚鈍で、まったく要領を得ず、小説の主人公が見ていても腹立たしいほどだったという。


それを見かねたのであろう。その囚人たちの代表の一人が、看守に「ノルマをください。」と言うのである。最初は聞き入れなった看守も、「それでは、ノルマとして、30分の休憩をやろう。」ということで、話がまとまった。


すると、今まで、まったくいい加減に作業をしていた囚人たちが、見違えるほど、有能で機敏で、溌剌と作業に従事するようになり、最初の作業では、折ってしまった船の竜骨も、後の二艘では、力を合わせてきれいに引き抜き、廃材を積み上げる作業は終わった。


囚人たちは満足して、30分間の休憩についた。


話としては、以上であるが、この囚人たちの変貌ぶりには、目を見張るものがある。小説では、もっと見事にこの変化が書かれているので、興味のある方はぜひこの小説をお読み頂きたい。


そこで、ここに登場するノルマというキーワードであるが、このノルマという語は、そもそもがロシア語で、わたしも辞書やネットなどで色々調べてみたのだが、どうも、正確な意味がよく掴めないことばのようである。現在、日本で使われているノルマとは、もちろん意味合いはまるで違う。


ラテン語のnormaから来ているということだが、「その労働に見合った標準の報酬」というのが、この小説での意味合いであろうかと想像している。


この話は、様々な角度から見ることが出来もし、また、労働というものを、その原点に、立ち返ってかんがえるときの見本と言えるような性格を持っているように思える。


働くということについての、その裸形ともいうべき姿が、垣間見えるような話だと思っている。


囚人たちをやる気にさせたのは、報酬としての30分間の休憩であることに間違いないが、それも、監獄内での休憩であって、自由になれるわけではない。塀の中での休憩に過ぎないのは、彼らがよくよく知っていることである。


だが、最底辺の生活を強いられている囚人にとっては、少しでも懲役から免れることのできるこの休憩は、それだけ魅力であるものだったのだろうともかんがえられる。


また、竜骨まできれいに引き抜いているところに注目すると、労働というものをしっかりと熟したいという、集団内部から発生する仕事に対する積極的な欲求というものまで、かんがえ得るだろう。


何せ、結果として残るのは、二束三文にもならない僅少の廃材の山に他ならない。剰余価値という共産主義が標榜する価値観念が入る余地もない。また、どのような経済的価値が発生する訳でもない。


にもかかわらず、囚人たちは、労働の本来あるべき姿を見せてくれているのである。それに、この囚人たちは、決して模範的な囚人たちではない。人殺しや泥棒として服役しているならず者どもの集まりなのである。これは、注意すべき事柄である。


ともかくも、この話柄は働くということについて、とても参考になるだけでなく、ある可能性さえ感じるものである。可能性とは、およそ、どのような人間やどのような状況にあっても、という意味である。