キリスト教は罪人のための イスラーム教は貧者のための 仏教は世捨て人のための 道教は隠者のための そして 儒教は世人のための だが、儒教は宗教ではない
2020年4月のブログ記事
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いつか、どなたかのブログ記事だったが、「小人閑居して不善を為す」という昔の言葉を引用されている記事があった。 よく、この言葉をご存知だなと感心したものだが、現在、みんなが「自粛」を強要され、自宅で、閑居する仕儀となってしまっている。 さて、わたし自身、小人に違いないから、何らかの不善をなしていると... 続きをみる
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民主主義とは理念ではなく、一つの政治形態として、留まるべきである。 ○ すべてが平等 この理念は言わば宗教であって、政治理念であるべきではない。 ○ 宗教がそうなり易いものであるように、絶対的な原理とすることは、避けるべきである。 ○ 日本の民主主義と欧米の民主主義とでは、... 続きをみる
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人類に一休みせよと教えしか新型コロナ脅威なれども 本物の手応えありや否やかはまっすぐに見る眼<まなこ>にこそあれ 歩道脇赤白ピンクの躑躅かな
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人々は離れて暮らす仕儀となりぬウイルス何を教えんとすや 満開の桜見上げるガードマン 令和二年桜の下の閑かなる
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あるテレビ番組のお陰で、俳句が流行りだそうである。良い傾向だとは思っているが、さて、その番組は見ていない。わたし自身、俳句制作者の一人として見ていると、どうかと思うくらい独断的だからである。指導者的であるのと、切れ味が良い批評と褒め方という以上のものは、得られないようである。 だが、振り返って思え... 続きをみる
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バッハはどこまでもまっすぐで超越的。 ベートーヴェンは入り組んでいて形而上的。 モーツァルトは全方向的で自然、そして、ときに無方向的。 モーツァルトの音楽の形容には、いつも、ピッタリとした言葉に欠ける。
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雨の日の思い、どうしても湿りがち。 けれども、情趣はある。 ○ 男と女の心の綾 真剣になればなるほどすれ違う
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からだ病み頭は濁り定かならず夢ばかり見し我が身なるかな 世界中コロナ禍なれど桜花 舞い上がる桜吹雪の高さかな
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野に寝そべり 黄色い花を見上げてみる 高い空へまっすぐに首を突き上げ 花は天になにごとかを告げているよう 大地の息吹きを背中に感じ 我に返ったようにわたしは思う 花は大地の言葉を天に届ける 明らかな徴ではないか われわれにはそれを表現する使命がある おお 名も知らぬ花