閑話休題 音楽余話 <頭の中で鳴る音楽>
最近、わざと、クラシック音楽を聞かずに、過ごしている。
それで、どうということはないのだが、いざ、そんな風にクラシック音楽から離れてみると、頭の中で、クラシック音楽が鳴ると思いきや、ほとんどそうしたことは起こらず、昔よく聞いた、ポップスやフォーク、ロックばかりが、頭を過ぎる。
わたしが愛してやまないモーツァルトの音楽は、見事なほど鳴らない。これは一体どうしたことかと思うのだが、抑もが、受け狙いの音楽と本然の音楽との違いというものがある。
モーツァルトの音楽は、もちろん後者なのだが、頭の中にまで、出しゃばって自分を主張してやまない音楽ではないのだと思う。
名画というものが、記憶していたつもりで、いざ、その絵を実際に見てみると、まるで違った感興を与えるのと、よく似ているようである。
頭の中で、鳴ってばかりいる音楽は、実際に、その音楽を聞いてみても、同じ感情や感興しか与えてくれないのをかんがえると、この図式は、むしろもっともなもののように感じられる。
クラシック音楽、特に、モーツァルトの音楽のような音楽は、単に、記憶しているだけではいけないのだろう。真に、自由で新しい音楽であるからこそ、日常的なルーティンを拒絶するのだとおもう。それほど、モーツァルトの日常というものはずば抜けて、充実していた。
わたしの平生というものが、如何に凡庸なものであるのかも、物語っているようでもある。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。