Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 物資の豊かさがもたらすもの

断捨離というものが、流行りだそうである。断捨離とは仏教用語だと思うが、仏教が、世の中のさまざまな関わりを断つことを旨とする教えであることを、思い合わせると、現代の豊かな物質的社会を、人々はどのように感じているのか、色々なかんがえ方をすることができるように思われる。


今の断捨離は、主に物資について言われていることは、明らかなように思う。また、若い人々が、あまり身近なところでものを欲しがらず、シンプルな生活を好むようになっていること。クルマを所有するというような欲求が減退していること。


これらを、つらつらと思い巡らすと、人々が、物資の豊かさはそのまま心の豊かさを表すものでないことを強く意識するようになったことが、その理由ではないかと、一先ずは、かんがえられる。


ただ、現在の人々が、人との関わりが希薄になっている傾向が、一つある。そうして、この断捨離傾向というものを見ていると、人々はまるで、言わば、現代風の裸の王様にでも、なりたがっているのではないかと思えて来たりするようなのだが、さて、どうだろうか。


身の回りの物資の豊かさは、逆に、心の貧寒さをあらわしているのではないかというパラドックスを、真に受けた結果、老獪な仕立屋が、「この服は、正しい心の持ち主にしか、見えません。」と王様に吹き込んだように、「物を無くして、初めて、美しい心の輝きが見える」とでも言われたかのように、今の、特に女性に多いのだが、断捨離に励んでいる様を見ていると、何か、背後にうそ寒い風が吹いているように思えてならないのであるが。


誤解されたくはないのだが、わたしは決して、物資崇拝者などではないし、むしろ、そうした傾向を、他の国々には見られない精神優位の傾向として、喝采でもしたいくらいなのだが、誤解を恐れずに言ってみれば、ある絶対的なものを伴わずに、そうした宗教的な行いに近い行動をすることは、ちぐはぐであるばかりではなく、危険であると。


わたしは、こうした断捨離のような行動に踏み切る人々の、こころの荒涼さとでも、言うようなものを感じて、何か、背筋のぞっとするような思いに駆られる。


直感的に言わせてもらうと、何か、昔話の山姥のような影がちらつくのである。昔の山姥は、物を無制限に欲しがったが、時代は変わり、今度は、物を無制限に放り出そうとすると。


いずれも、満たされない心の代弁であることに、変わりはないのである。