エッセイ 民主主義という言葉
民主主義については、わたしはごくごく幼い頃から、ある違和感を抱いていた。子どもの頃、兄から「この世の中で、一番偉いのは、誰だ?」と問われ、わたしが一所懸命考えていると、兄は「それは、俺だし、お前だ。」と事もなげに言った。
このやや粗雑な民主主義観は、当時のわたしには、まったく解せなかった。その子どもの頃のこと、いつも遊び呆けていた自分が、偉い訳がない。そう幼な心に思ったものであるし、また、貧しい家で、成人するにつれて、民主主義という言葉については、強く違和感を抱かされ、この言葉については、眉に唾を付けて聞かねばならないと、心に決めている。
日本の民主主義は、建前としての平等であるし、アメリカの民主主義は、チャンスが平等に与えられているということ、ヨーロッパでは、神の前での平等であること。
これでは、なんのことかよく分からないというのが、本当の本音のところだと思う。以前の記事でも、少し言及したが、民主主義という言葉をハッキリと正確に知っていて、人に説くことの出来るような人は、ほとんどいないと言っていいのだと書いたが、今でも、そのかんがえは少しも変わっていない。
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