ベルクソンの遺書と言える著作です。聖書に由来する神とギリシア哲学における神々とが混交してしまった西洋哲学の弱点とも言える神観念をきれいに解きほぐして行きます。ベルクソンは決して難問を一挙に解決することを望みません。着実な一歩を進め、後は後世の哲学に託そうとします。この著作の最後で「人類はまだ自分た... 続きをみる
2019年4月のブログ記事
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いかがせむいかがせむとやこの生を迷い迷うて日は暮れなんとす 生活はほぼかたわらに置きしかど時に我の出るわがブログかな 帰り道今朝見し蚯蚓の干からびぬ
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前回の記事の補足なのだが、新しいアイディアというものは、受け入れられのに、まず、旧来の考え方から批判されるというのは、やはり、本当の事のようである。 人々の考えの覆いを取り払うということ、つまり既成観念を取り除くというのは、人が考えているより、ずっと厄介なことのようである。 例は、わたしが前回書い... 続きをみる
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もう、30年来思っていることなのだが、パソコンはじつに進化が著しい筈のものなのに、みんなが使って怪しまないとても不合理なものがある。他でもない、パソコンのアルファベットの文字列キーである。 この無秩序というより、前時代のタイプライターから受け継がれた、わざとキーを遅く打たなければならないように配列... 続きをみる
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かげろうを生はかなしと誰言はむ命夕日の色に染まれり うばたまの夜のはなれに一人いて思いはみだれかぎりなかりし つゆ末期空一面の雲動く
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久方のアメリカのビル倒壊す異国の空はいたづらに青し 買ったなり返すことなき砂時計短夜一人返したるなり 春過ぎて夏には夏のおもいかな
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詩は痩せた するどく痩せた 生き延びていることが不思議なくらいだ そのようにも われわれの心は痩せた ただ生きることだけを目指して 心はするどく痩せた 詩に復活の道はあるか 心を耕す鍬はあるのか いかにも 途方に暮れることだけが われわれに残された手段である
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日本近代の自然主義小説家正宗白鳥の最晩年の短篇集です。どの編も枯れ切った、宗教的な雰囲気さえ漂う名篇になっています。白鳥の文章は、味も素っ気もないもので、まるで活字そのものを読んでいるような気にさせられますが、そのために作品の純度は非常な高さに達するものがあります。白鳥は、若い頃キリスト教に入信し... 続きをみる
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うつろなる心のほかにこの世にはもちたる物のなかりけるかな 炎天下人は罪あるもののごと 冷やされて軟水とめどなくうまし
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気が付いたら、この4月は2回しかブログをUPしていない。 これはいけないと思いつつも、それなりにまとまった文章なり絵なりの作品を載せることに拘っているから、こうなってしまった。 それは、それで良いとは思うのだが、何か忸怩たる念に堪えない。 年のせいなのだろうか、とはいえ、そんな年でもないはずなのだ... 続きをみる
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本を読むことは、自由に考えるときの必須の条件である。考えるだけなら、誰でも可能であるが、既成観念にとらわれず、自由にものを考えるには、ある特殊な修練を必要とする。 その修練には、だが、本を読むだけでは足りない。本を読みつつ、考える力を身につけなければならない。既成観念とは、じつに頑固にこびり付いた... 続きをみる
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法華経を持ち出すまでもなく、ウソには様々な効用がある。芸術の中でも、小説という大きなウソがある。ドストエフスキーの小説が、どれほどの迫真力とリアリティを持ったものであろうと、それらの小説群がまったくの絵空事であるのは明々白々のことである。 フロイトだったと記憶しているが、科学の弱点は、真理に対して... 続きをみる