およそ小説に描かれた女性で、これほどかわいい女は他にいないでしょう。オーレンカは自分の意見というものを持たない人間ですが、誰かを好きでいずにはいられない女です。三度結婚しますが、三度とも相手の意見に従い、愛し切ります。最後に寡婦になりますが、ある少年に心底から愛情を注ぎます。トルストイは、この短編... 続きをみる
2018年2月のブログ記事
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チェーホフ晩年の作品です。名篇「桜の園」にも通じる象徴的な筆使いが感じられます。三人姉妹は、悲しい運命と俗悪な日常生活に曝されますが、胸の中に宿る小さな倫理的といってもよい希望の火を決して消しません。劇の最後、三人姉妹がそれぞれに、心の底から絞り出したような偽りのない心情を歌うように語る場面は、ど... 続きをみる
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女優志望の娘ニーナは、名声にあこがれて家を出てある劇団に加わり、男に身をまかせ子どもを産み、やがて、男に捨てられ子どもにも死なれます。絶望したニーナは、自分を気まぐれな漁師に撃たれたかもめのようだと「わたしはかもめ。」と繰り返します。「わたしはかもめ。・・・いいえ、そうじゃないわ。」時を経て、ニー... 続きをみる
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この曲は、昔から気になっていたピアノ曲で、op.111のピアノソナタに心の底から感激し、もうこれ以上のピアノ曲はあるまいと思っていたときに、op.120のこの大曲があると知って驚き、聞きたくてどうしようもなかった。学生時代のことである。 最初にグルダを聞いたが、どうも納得できない。次にブレンデルの... 続きをみる
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アランの「幸福論」の中に、こんな言葉がある。 「自分を信じるやり方に二つある。一つは学校式のやり方で、そのままの自分を信じるということ。もう一つは職場式のやり方で、自分を全く信じないというやり方である。」 どちらも軸となっているのは、自分であることに注目したい。 「ありのままの自分」とか「自分らし... 続きをみる
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ロシアの近代作家チェーホフは医者でもありました。結核を患い44才で亡くなりましたが、その生涯は忍耐に忍耐を重ねた、聖職者のように清潔なものでした。作中のワーニャ叔父さんはどこにでもいるような、さしたる取り柄のない独身の中年男ですが、ある若い美しい夫人に恋をします。ワーニャ叔父さんは結局振られてしま... 続きをみる
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先に載せた、「和風美人2」を加筆修正したものです。2016年に描きました。 モデルは、内緒です。
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司馬には、硬軟入り交じった著作が多いのですが、この本はその司馬の中でも、もっとも硬い方の著作に属するでしょう。剛直な筆致で、平安期の巨人空海を描きますが、著者の筆が思うように伸びず難渋しているのが分かります。筆者は、後記でこの伝説に包まれた巨人弘法大師の衣の翻りでもいいから描いてみたかったと言いま... 続きをみる
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書かれなかったことで 永遠に安らっている 隙間 サント・ヴィクトワール山は あんなにじっくり見つめられて逃げ出したくはなかったろうか 空さえも 動かぬ色を 剥き出しにされ 四角い額の中に収められてしまった 事物はみるみる表皮をはがされ 自然は その驚くべき心を われわれに通わせる そのとき 唐突に... 続きをみる
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ロシア戦役当時、筆者の米国従軍記者が、間近に見た乃木将軍の姿を捉えたものです。記者は、乃木をFather Nogiと親しみを込めて呼び、軍人としての賞賛には一顧も顧みず、漢詩を賞められるとニコリとする乃木の姿に、日本人の持っている武士道精神の精華を見たと言います。明治天皇崩御の際、乃木将軍殉死の一... 続きをみる
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ロシア戦役で最高司令官を務めた乃木希典を描きます。乃木は当時の論文で、「無能論」が書かれるほど戦術家としては取り柄を持たない人でしたが、松陰と同じ師によって教育されたその精神力は巨魁と言ってもいいものでした。有名な二〇三高地への攻撃命令は、まるで明日の馬の準備でもするような口振りで伝えられます。病... 続きをみる
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歴史小説を得意とした著者が、アメリカについて書いた題名通りのデッサンです。ただ、司馬の眼光は鋭く。この不思議な大国の急所をよく見抜き、秀れた筆致でその暗部も明部も鮮やかに描き出してくれます。「普遍性があり便利なモノやコト、もしくは思想を生みつづける地域は地球上にアメリカ以外ないのではないか。」と著... 続きをみる
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戦国期の名将、伊達政宗を描きます。司馬のこの短編は、優に他の伊達政宗に関する書物を凌駕しています。題名は、漢詩もよくした政宗の「馬上少年過ぐ、世は平らかにして白髪多し、残躯は天の許すところ、楽しまずんば又如何せん」からとられています。政宗がこの漢詩を詠んだ時、戦国の世は終わり泰平の世が始まっていま... 続きをみる
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油売りの身から一国の城主にまでなった斎藤道三と稀代の天下人織田信長を描きます。道三の話柄には、多くフィクションが紛れ込んでいる感がありますが、一介の貧民から城主にまで登り詰めた男を描いて、痛快ささえ覚えます。信長については、「信長公記」があるおかげでしょう。写実的な筆致でその人物像を捉えます。戦国... 続きをみる
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数多い司馬の歴史小説の中でも、もっとも優れた著作と言っていいでしょう。吉田松陰と高杉晋作の二人の傑物を描きます。司馬は、日本は鎌倉時代になって、始めて日本人の顔が見えるようになると言っていますが、法然と親鸞の師弟の繋がりを先駆とする日本の師弟関係、時代は経て、幕末の動乱期になっても健在なまま保持さ... 続きをみる
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ある「罪と罰」の本の帯に、「ラスコーリニコフは、偶然、犯した第2の殺人によって自白する。」と書かれていた。だが、これは、大きな誤りであって、ドストエフスキーという詩人の思想を誤解するものである。「罪と罰」が感傷家によって、読まれた一例でもあるだろう。 こう質問してみよう。もし、偶然、リザヴェーダが... 続きをみる
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著者畢生の代表作、小説「楢山節考」です。舞台は、どことも知れないもの深い貧しい山村です。主人公おりんばあさんは、なんでも食いそうな自分の健康できれいな歯が恥ずかしく、石臼にぶつけて自分の歯をガタガタに傷付けたりします。この村は、いつもの食物に事欠くほど貧しいのです。やがて、おりんばあさんが裏山に捨... 続きをみる
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著者は、アイヌ民族出身の政治家でもあった、アイヌの昔話の収集家でした。本書はアイヌの人々によって口承されてきた昔話を著者が日本語に訳したものです。この昔話の中には、殺されたことで、「もう、悪事を重ねなくても良くなった」と自分を殺害した者に礼を言う悪神の話や我が子を焼いて「おいしい、おいしい」と言っ... 続きをみる
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戦後第三の新人と呼ばれた作家の一人、安岡章太郎の代表作です。海辺の施設には、もう何も判別も判断も付かなくなった認知症の主人公の母が入所しています。主人公は母の傍らに付き添い、一夜を明かします。母との思い出を辿っていく中に、主人公は豁然と蒼穹が開けたような大きな心の境地に到達します。志賀直哉の名篇「... 続きをみる
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舞台は、どことも知れない海岸近くの僻村です。主人公は、まるで人間用の蟻地獄の巣のような、とある一軒の砂に囲まれた家の中に、ふとした油断から堕ちてしまいます。自力ではどうしても這い上がれないその家の中には、一人の女がいます。村人達は、この女と一緒になって、この村の人間になるなら出してやろうと告げます... 続きをみる
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日本一の剣豪として知られる宮本武蔵が、その自分の剣術の腕前の拠って来たる所以を書き著したのが本書です。武蔵はここで、「仏法儒道の古語をも借らず」つまり、伝統の力を借りないで、書物を著そうと企てています。こうした試みは、まず無惨な失敗に終わることが通例ですが、武蔵の場合は、少なくともその独創的な思想... 続きをみる
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「イワン・デニーソヴィッチの一日」ソルジェニーツィン 新潮文庫
ソビエト連邦はすでに崩壊しましたが、この小説はそのソビエト連邦崩壊の立役者となった作家ソルジェニーツィンの処女作です。筆者は、ドストエフスキーとは違い、全くの無実の罪で当時のソ連の強制収容所へ十年間、囚人として監獄生活を送りました。そのために文学者の中には、この小説に「死の家の記録」に引き続くロシ... 続きをみる
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「罪と罰」のラスコーリニコフは、自分で抱いた自由思想を全人格で実践した男である。そこには、何の妥協もないのであって、誰にも、それを止める力はなかった。そうして、凶行を遂げた後に、良心の呵責が容赦なく襲いかかっても、自由を追い求める彼の悪魔的な頑強な人格は、それによって、崩壊することはないのである。... 続きをみる
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フレンホーフェルという金持ちの老画家の話です。彼は、熱っぽく絵について語り、瞬く間に一枚の見事な絵を描いてしまうような腕を持っていますが、少し風変わりなところがあります。十年来、ある絵に没頭し、それが自分でも傑作かどうか判じかねているのです。ある機会があって、思い切ってその絵を信頼している画家の仲... 続きをみる