Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 古今亭志ん生の落語 <伝説>

以前のことだが、古今亭志ん生のことが気に掛かり、色々と出ていたCDを買い漁り、聞いてみたことがある。


気に掛かったというのは、高座で寝て、その寝ている姿を見て、見巧者の観客たちが、「志ん生、高座で寝るとは偉え。」と賞め讃えたという伝説の持ち主だからである。


わたしは、志ん生の落語の中では、「井戸茶碗」や「品川心中」、「淀五郎」などが、好みで、このCDは録音状態も良い。ただ、他には、当時のあまり良くない機種で録音されたと思われるような音源もあり、また、志ん生が決して滑舌の良い落語家ではなかっために、まるで、昔の蝋管蓄音機で録音されたクラシックの演奏を聴かされているようなCDも少なくない。


それで、あるCDを聞いて、先述のわたしの疑問は氷解した。CDをかけた途端に、観客たちの悲鳴のような笑い声である。子どもなどは志ん生の姿を、見ただけで笑い飛ばしている様子である。志ん生はこの時、まだ話出してさえいないのである。「これでは、話せませんがね。」という志ん生の声も聞こえたりする。


志ん生は、生まれは武士の家系であり、口述筆記した本の中でも、「笑わせてあげるのはいいが、笑われるのは大っ嫌いだ。」という文句があったように記憶している。若い頃は、酒を飲んで、酔いが醒めないうちに高座に座ってしまうようなだらしなさはあったが、そこは、きっぱりとしていた。


そこで、そのときの志ん生の心持ちを、わたしなりに想像して書いてみると、「何でえ、噺もさせねえうちから、笑い飛ばしやがって。こちとら、噺家でえ。噺をしてなんぼのもんだ。この五月蠅さじゃ、誰も、噺を聞く耳はもっていやしねえや。けれど、高座を降りるわけにもいかねえし、弱ったなあ。ええ、ここは寝ちまえ。」というわけで、最前の伝説は出来上がったものと判断した。


わたしのこの判断に、狂いがないことを願っているが。