エッセイ 精神論の何が悪いか
現今、いや現今だけではなく、第二次大戦以降そのままだと思うが、やたらと、精神論はいけない、もっと具体的な技術や科学に依拠した論でなくては、ならないと言うような意見が、いつの間にか、まかり通っている風潮であるが、わたしは、このことにどうしても、ある疑念を抱かざるを得ない。技術や物質に依拠すれば、論は具体的になるのか。どうも、怪しい論の立て方である。
東洋思想のその根っ子のところをよくよく見てみれば、精神論以外のものではない。儒教、仏教、老荘を加えても良いが、すべて、精神に関する論以外のものではないという、明らかな事実である。
その点、西洋思想は、どうしても精神と物質を世界の言わば両極として、捕らえたがる。
ある政治家が非難したように、まるで、精神的な精華は、キリスト一人のもののようである。
わたしは、ここにある思想上の偏狭を見る者である。何故、精神的な精華は、唯一無二の人、または、それを踏襲する者にしか現れないのか。
精神論はいけないというとき、いつも引き合いに出されるのは。竹槍で戦闘機に立ち向かう、滑稽な日本人の姿である。精神論を、引き合いに出すなら、そのもっとも輝いた所を掴んで論ずべきである。
第二次大戦は、むしろ異常と言えるような精神上の輝きを、日本は、世界中に知らしめた。日本人が、初めてやってのけた特攻攻撃である。
精神論というものも、そうしたところから、論じなければ、本当とは言えないような気がしてならない。
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