クレンペラーという指揮者は、この曲は、音楽が鳴っている箇所は、ほぼ一時間ほどであるから、レコード一枚分で宜しいと、音楽が鳴っていない箇所はすべて削って、レコード一枚にして、世に問うたそうである。 クレンペラーという人は、大指揮者で、この人がいたお陰で、確かNBCオーケストラという立派な交響楽団がで... 続きをみる
2020年12月のブログ記事
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「落としどころ」という言葉を聞いて、ピンと来る人は、歴とした現代の社会人であると思う。 だが、この言葉は、どうやら新しいことばのようで、大言海にも広辞苑にも見えない。いつ、誰が使い始めて、広まったのか、調べてみると面白いかも知れない。 勿論、このことばの意味は、交渉の際、どうしても相容れないように... 続きをみる
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しばらく、ブログを休んでいました。失礼しました。 前に、キャッシュレス貨幣について、触れた記事で、量子コンピューターが導入されるなら、その桁外れな計算能力によって、暗号のような鍵のついた貨幣は、再び紙に戻らざるを得ないという意味のことを書いたが、テレビで、量子暗号通信なるものを報道していた。 これ... 続きをみる
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このオルガン曲は、わたしも、ご多分に漏れず、中学の音楽の授業で、初めて聞いたのだが、初聴したときの感想は、よく覚えている。 こんなに大きな曲なのに、なぜ、小フーガなどと「小」という題名がついているのだろうという違和感が先に立ったものだった。 4、5分ほどの曲に過ぎないのに、この圧倒的な大きさは、い... 続きをみる
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生誕250周年ということで、何かと、ベートーヴェンについての催しがあるそうだが、わたしも、それに乗っかる形で、ベートーヴェンについてのかんがえを、少し纏めてみたいような気持ちになったりする。 クラシック音楽の愛好家でなければ、まず、ベートーヴェンの音楽を、全曲聴いたという人は、居ないだろうと思うし... 続きをみる
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現在のCDの収録時間の長さは、およそ、80数分というところだろうか。この長さは、じつは、ベートーヴェンの第九がまるっと入る長さが基準で、この基準を提案したのが、当時のクラシック界の帝王(もう、こう呼ばれる人は、居なくなってしまったが。)カラヤンである。 曲の長さは、指揮者によって増減するから、わた... 続きをみる
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日本人の不思議なところは、思想転向と宗旨替えでは、圧倒的に思想転向の方を重視し、宗旨替えは、ほとんどファッションを変えるくらいにしか考えていないところではないかと思っている。 結婚による宗旨替えは、特に、女性の方は当たり前なものとして、慣行されているし、宗教がどうだからという理由で、結婚が破談にな... 続きをみる
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あるクラシック音楽番組で、ベートーヴェンの曲のランキングを、人気投票形式でやっていた。日本人は、相撲の番付のような伝統のある国のせいか、ランキングがともかく好きな国民である。 Excelには、さまざまな関数機能があるが、これは、その人の好きな関数や嫌いな関数に分かれるようである。わたしは、いずれも... 続きをみる
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今年は、あたたかい晩秋のお陰で、紅葉のさまざまな写真が撮れました。 ただ、納得の行く写真は少ないです。
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何でも、今年はベートーヴェン生誕250周年の年だそうで、ベートーヴェンに関する話題が多いそうである。 わたしは、ベートーヴェンのカルテットについては、不思議な聞き方をしたと思っている。先ず、いきなり、あの後期のカルテットを聴き、十五番のリディア旋法の箇所を除いて、まるで分からなかったこと。 それか... 続きをみる
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エッセイ なぜ君は自分自身に対して最良の友人になろうとしないのか
アランの「幸福論」に見える言葉である。 また「前向き」や「プラス思考」など、現在、流行している多くのことばの源泉になったのが、アランの「幸福論」である。 アランは哲学者というより、フランス流に「モラリスト」という方が適当な人で、人間的な考察を、単に、哲学的考察に終えないで、そこから先、どのような心... 続きをみる
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桜のソメイヨシノと違い、今年のモミジは晩秋になっても、楽しめます。
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吉田秀和は、この曲について、ある人の言ったことばとして「心はたしかに踊っている。ただ、それは喜びのためではない。」という文章を寄せている。 わたしには、これほど矛盾した性格が、何の苦渋も見せずに、自然と一丸となった曲は、他にまるでないように思える。無理に言ってみれば、明るい暗さ、軽快な重さ、死と同... 続きをみる
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文科省は、「一所懸命」を「一生懸命」に改めたが、これは若い人ではなく、多くのお年寄りが、書き間違いをしたからである。 現在、多くの老人が誤って使う言葉に、「汚名挽回」がある。これは、汚名返上と名誉挽回をごっちゃに覚えてしまった明らかな間違いなのであるが、とても多くのお年寄りが、勘違いして覚えている... 続きをみる
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外灯に照らされ赤きモミジかな 咳一つ車内に響くしずかさよ マスクせぬ人は居らざり電車内律儀なりける日本人かな
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桜紅葉一葉残して散りにけり 冬なれど秋入り交じる日和かな 人声はもとより絶えておりぬかな行きと帰りの電車内なる 車内には週刊広告無くなれり少し侘しき冬の午後かな
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題名が思い出せなくて、申し訳ありませんが、マンの短編集の巻頭にある、強い印象を残さずにはいない、短編小説です。公園のベンチで、偶然出会った老人から、人生の話を聞くという体裁で、その老人は、社会に出たときも、結婚をしたときも、子どもが生まれたときも、病気から治ったときでさえも「それで、どうしたという... 続きをみる
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わたしは、法律の条文が苦手である。と言うより、自分のような文学に馴染んだ頭からすると、とても、不思議な文章に見える。人がことばを操るのではなく、言葉が人を制御するという、まったく逆用の言葉の使い方だからである。 ことばが人を縛るというので、思い当たるもっとも古い言葉は、十戒であろうか。ただ、これは... 続きをみる
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徒然草は明るい ○ この明るさは、兼好の人柄に拠るというようなものではないようである また、仏者の悟り済ました心境というものでもない ○ 岩波文庫版では、「あやしうこそものぐるほしけれ」<序段>の現代語訳として、「妙に馬鹿馬鹿しい気持ちになるものだ」とある わたしは、ここに貴重... 続きをみる