エッセイ 八大龍王あめやめたまへ <実朝>
ときによりすぐれば民の嘆きなり八大龍王あめ止めたまへ
鎌倉右大臣実朝の名歌であるが、最近、大雨による被害が相次いでいるので、引用したくなった。
実朝については、小林秀雄の名評論がある。大戦当時、「無常という事」連作の一つとして書かれた有名な著作である・
実朝の歌には、異様な暗さがある。この親類に暗殺された天才歌人は、鎌倉右大臣という自分の地位の異様な象徴的な立場を、ついに、どうすることも出来なかった。
天性の歌人に、政治的な手腕などを期待する方がどうかしている。
前掲の歌には、民への思いのみならず、詩人としての自分のこころに触れずにはいられない深いかなしみが宿っている。わたしは、「八大龍王雨やめためたまへ」の二句に、一種、沈痛な響きを感じ取らずにはいられないものである。
ある救いようのない立場に立ち至った者が、歌が放つ、わずかな蛍のような光によって、心をすくい取られているように見える。
ちなみに、わたしの推定だが、八大龍王はその「龍王」という御名から、外来の仏教の神さまではないかと思われる。
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