大リーグ一人揺るがす日本人大谷翔平その人なりし 七冠に至るや次は八冠を藤井聡太という棋士すごき
日本人のブログ記事
日本人(ムラゴンブログ全体)-
-
日本人の議論に、決着を付けるのは結論ではなく、時間である 〇 「もう、時間になりましたので」どんなに、白熱した議論の最中であろうと、大概の日本人は、これで納得する 〇 時間などどうでも良いと、議論を戦わせていたのは、学生時代に限るようである 〇 また、日本人は、自分を... 続きをみる
-
自我の強さと心の強さ、どちらを選べと言われれば、ほとんどの日本人は心の強さの方を選ぶのではなかろうか。 わたしは、とても不審なのだが、この二つのものを、同じものと見做す混迷した見解が、依然として、まかり通っているような気がするのだが。 前の記事で、個性の強さというものと自我の強さは、違うということ... 続きをみる
-
人物と呼ばれるような人は、ほぼ例外なく、個性的なものである。これは、どの国のどの人物にも言えることで、洋の東西の別はない。それで、欧米人を見ていて、不思議に思うのは、彼らの考えでは、自我確立することと個性の強さとを、どうも、一緒のものだと見做しているところである。 結論から、先に言えば、個性の強さ... 続きをみる
-
仁は、儒教で強調される徳目であり、慈悲は仏教で重んじられる徳で、両者とも、上から下に、言わば、縦に下る、自然な愛情表現と言って良かろうと思う。 仁は、為政者から人民に下される徳で、仁徳天皇の話柄は、そのことをよく伝えている。慈悲は、仏から人々に齎される徳で、やはり、上から下への、縦に下る愛情である... 続きをみる
-
理系文系という人間のタイプの分け方は、日本独自の分け方だそうだが、何故また、そうなるのか、よくかんがえて見たいところである 〇 前の記事にも、触れたのだが、この分け方は、その当時の日本社会の要請に拠ったものである。それが、今に至るまでも有効であるということは、日本社会がまだ、そうした人間... 続きをみる
-
元総理殺した男に差し入れを続々入れる日本人かな われもまた宗教二世なりけるが恨むということむなしさを知る
-
「人間は信じるものじゃない」と言う人、概ね、不徹底な功利主義者に過ぎない。 ○ 人を信じて裏切られたから、人を信じなくなったという人は、多いものであるが、西洋でよく見られる、人間嫌いというところまで行く人は、日本では、ほとんどいないし、社会的に、よく見かけるようなタイプにもならない。 ... 続きをみる
-
良寛さんは、日本風のファウスト博士であったと思う。しかも、子ども時代にまで若返って見せてくれた、現存したファウストであったというのが、わたしのかんがえである。 一体に、ヨーロッパで伝説とされている人物が、日本では、生き身の姿で歴史上に現れるというのが、わたしの思うところである。 ドン・ジュアンは在... 続きをみる
-
古の日本人みな夏バテす夏バテさしも悪きことかや 日本の夏の暑さは格別の意味を持ちたり自然ラマダン
-
-
日本人は踊らない。 特に、社会的な地位が高くなればなるほど、踊らない。ユングによれば、踊りは、満たされなかった性衝動の、代償行動であるという。 外国人に言わせると、日本人は全くもって、踊りが下手であるそうで、こう書いている自分自身にしてからが、踊りはまるで、苦手で下手である。 ウィンナワルツは有名... 続きをみる
-
働くということをかんがえて、「道」というものにまで、言及することになったのは、自分でも意外であった。 やはり、実際、書いてみなければ、出て来ないことばというものがあるようだ。 そこで、思うのは、現代日本に蔓延っている冷笑主義というものがある。わたしは、月刊誌や週刊誌を読む習慣がない。もう、学生時代... 続きをみる
-
人は未来などを見て行動するのではない。現実のことそのものに当たって行動するのである。 ○ 自壊 詩は壊されたのではない。自らが現代の器たらんとして、自らを壊したのである。 ランボー ○ 日本人的な直感で思う。労働について語り、労働の意義を感じさせないような文章は、読むに堪えない。
-
現在、日本では、コロナはそれなりの収束を見せている。予断は許さないが、まずは、慶賀なことと喜んでおきたい。 それでなのだが、わたしは実は、マスク生活をしている今の日本の現状を、どうかと思っているところである。 それというのも、ここ2年インフルエンザの流行を見ていない。これは、よくよく考えてみれば、... 続きをみる
-
理念先行型社会 欧州を、代表とかんがえて良いと思うのだが、EUなどでも明らかなように、理念がそれぞれの国家を先導している社会と言える ○ イギリスという現実主義的な国が、EUを離脱したことは、当然なことのように思える ○ 日本人は、ある意味で真面目な国民だが、悪乗りをする国民性... 続きをみる
-
今でこそ、そうではないが、一昔前は、日本人のことを、エコノミックアニマルだの猿真似だのと、欧米人から、さんざん罵られてきたものである。日本人は、礼儀正しいところを持っているので、新しく台頭して来た、韓国や中国を、そのように罵倒することはないが。欧米人も日本人で飽きたのか、そうした罵倒は両国には控え... 続きをみる
-
知られざる才能ありてたのもしき日本人なり奥床しきや 猫じゃらし猫待ち顔に揺れており 秋なれどもみじちっとも色付かぬ
-
欧米思想、また、その周辺の思想の中で、わたしがもっとも分からないと思うのは、この「裁き」の思想である。 ○ 何故また、人間は死んだ後でさえ、裁かれる必要があるのだろうか。 ○ 人間が、それほど罪深い存在だとするのは、キリスト教を中心とする、聖書を拠り所とする人々に共通する考えに... 続きをみる
-
日本人の不思議なところは、思想転向と宗旨替えでは、圧倒的に思想転向の方を重視し、宗旨替えは、ほとんどファッションを変えるくらいにしか考えていないところではないかと思っている。 結婚による宗旨替えは、特に、女性の方は当たり前なものとして、慣行されているし、宗教がどうだからという理由で、結婚が破談にな... 続きをみる
-
外灯に照らされ赤きモミジかな 咳一つ車内に響くしずかさよ マスクせぬ人は居らざり電車内律儀なりける日本人かな
-
-
-
三島由紀夫はわたしの苦手な作家の一人であるが、三島事件については、確実に言えることがひとつあると考えている。 三島事件は考えるものではなく、感じるものだと。 そうしてその異様な感覚からは、日本人であるならば、誰も逃れられぬものだと。
-
「安心」という言葉は、英語にはないそうである。従って、「安心」に類する安堵という言葉も同じくないと推測できる。 安堵は、本領が保証されてこその安堵であった。一所懸命(今では一生懸命になっているが)の言葉の出処は、この本領を死守するために、懸命になることだった。従って、本領を保証もされないのに、一所... 続きをみる
-
ヨーロッパでは、こういうことが言われるそうである。 一人のイギリス人は俗物である。二人のイギリス人はスポーツをする。三人のイギリス人は大英帝国を作る。 一人のドイツ人はロマンチストである。二人のドイツ人は俗物である。三人のドイツ人は戦争をする。 日本人は、どうもドイツ人に似ているようである。
-
今は、あまり聞かれなくなったが、三英傑の信長、秀吉、家康の中で、誰が一番好きかというのは、昔よく聞かれた質問である。今でも何かの折に、こうしたことを言う人もいるかも知れない。ただ、この人物たちのことをよくよくかんがえてみれば、これは、単なる好き嫌いで片付けることができない人物たちであるのは、明瞭な... 続きをみる
-
ここには、日本人が感じる情感を伴った「四季」とは、まるで異なった欧米人の感じる「四季」の姿があります。われわれに寄り添い、豊かな恵みを与えてくれる「四季」ではなく、はっきりと、それに対抗し、武装する必要さえある「四季」が克明に描かれていきます。聖書の記述に見える、イエスが、季節ではないいちじくに向... 続きをみる
-
武士は、二君に仕えずとは、頼朝の作った武士の倫理だった。それでは、その前はどうだったかというと、平安期の武士たちは宮廷や荘園や寺社などを自由に雇われ歩いていたのである。 では、貴族はどうだったかというと、菅原道真が左遷されたときなど、その配下の者たちもすべて零落していき、清少納言も定子が権力争いに... 続きをみる
-
現在、一番上等な牛は、世界で公認されている和牛である。オーストラリアがWagyuの商標を取って世界に売り込んでいることでも知られる。ただ、世界の一般の人々には、Wagyuが日本由来の牛であることは、あまり知られていないようだが。 明治期になるまで、日本では牛を食う習慣はなかった。こんな滋養に富んだ... 続きをみる