エッセイ 「愛」は甘くはない <理解という愛情>
前の記事で、「愛」について、若干、言及させてもらったが、わたしはこのことばを単独で、使おうとすると、どうしても気恥ずかしい気持ちが起こってしまうので、今回も、括弧付きで、使わせて貰うことにする。 西洋の「愛」は対等か、対象が拡大された者への愛情と書いた。「汝の敵のために祈れ」というキリストの山上の... 続きをみる
Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春
文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正
前の記事で、「愛」について、若干、言及させてもらったが、わたしはこのことばを単独で、使おうとすると、どうしても気恥ずかしい気持ちが起こってしまうので、今回も、括弧付きで、使わせて貰うことにする。 西洋の「愛」は対等か、対象が拡大された者への愛情と書いた。「汝の敵のために祈れ」というキリストの山上の... 続きをみる
モーパッサン 若い女性 「その心は疑い深く、頭はよく働き、勘が良い。」 アラン 手相 「魔法使いに、手の内を見せることはない。」 ベルクソン 人類 「人類はまだ、自分の未来は自分次第だということを、知らないでいる。」 ドストエフスキー 人間 「人間は、どれだけ複雑に見えようと、根は単純なものである... 続きをみる
モーツァルトの音楽は、およそ、どのような形容詞も跳ね返してしまうというのが、その最大の特徴ではないかと、わたしは思っている。中国の古典中の古典、「論語」と同じように。 小林秀雄がアンリ・ゲオンから引用した、「疾走する悲しみ」は名高いが、わたしには、これは特に、ト短調40番シンフォニーの特徴を言い表... 続きをみる
たとえば、画家は自分の描いた絵を見せて、感動なりしてもらうことが、可能だが、作曲家となると、自分の真価を発揮した音楽を聴いて貰うとなると、自身で演奏可能なような、ピアノソナタなどは措くとして、どうしても、演奏家という人種が不可欠になる。 それで、ヘタに演奏されたりでもしたら、そこで音楽は終わりであ... 続きをみる
「悪魔のトリル」という有名な曲がある。その題名から、どんなに凄まじい旋律だろうかと、その曲を聞く以前は、怖気させ感じられたものだったが。 実際に、聞いてみたら、どうということはなく、小悪魔的な女の子が、少し顔を覗かせたという程度であった。 それよりも、モーツァルトの音楽全体を、悪魔の仕業と見做す、... 続きをみる
かなり以前の記事でも、触れたのだが、リパッティという早逝したピアニストがいたのだが、この人の演奏は、グールドやグルダ、ミケランジェリ、ホロヴィッツと同じくらい、または、それ以上によく聴いている。 この人は、コルトーというピアニストがショパン・コンクールの審査員だったとき、リパッティを第一位に推した... 続きをみる
日本の自然はうつくしい ○ 重層的でありながら繊細 その上に強靱 そうして何よりも調和的 全体は、細部のため、細部は全体のために しかも、まったく作為を感じさせない ○ まるで、モーツァルトの音楽のようである
最近、わざと、クラシック音楽を聞かずに、過ごしている。 それで、どうということはないのだが、いざ、そんな風にクラシック音楽から離れてみると、頭の中で、クラシック音楽が鳴ると思いきや、ほとんどそうしたことは起こらず、昔よく聞いた、ポップスやフォーク、ロックばかりが、頭を過ぎる。 わたしが愛してやまな... 続きをみる
確か、ゲーテだったと思うが、佳い作品が生まれるには、ある心の危機が前提として必要なのであると、どこかで言っていたような気がする。 ある文芸同人誌に属していた頃、何人かの人が「どうしても、何も書けない」と嘆いていたことを思いだした。 この人達は、およそ心の危機というものとは、無縁のような幸福感の持ち... 続きをみる
現在のオリンピックのバッハ会長は、その名前から、音楽家のバッハの血筋の人であるのは、まず、間違いないだろうと思う。 バッハは子沢山で、多くの子孫を残したことでも、有名で、また多くの音楽家を輩出したことも知られているが、肝心の大天才ヨハン・セバスチャンが生前、ほとんど認められなかったことが影響してか... 続きをみる
ゴッホの「ひまわり」は有名だが、有名だからと言って、いつまでも見続けられる絵というものではない。 わたしは、よく思うのだが、自分の家に、ゴッホやピカソなどの、絵のコピーや複製や本物でも構わないのだが、それを、よく、見えるようなところに飾っているような人は、一体、どういう神経の持ち主だろうかと疑って... 続きをみる
モーツァルトを聴くと、自分の耳はこれほど精妙に出来ていたかと、驚くことがしばしばである。 目については、そういうモーツァルトのような意味で、驚かされる画家は、あまり思い浮かばない。北斎のある画や、セザンヌの絵にハッとさせられた思いはあるが、これは、何せ、その画の実物を見ていないこともあり、また、実... 続きをみる
スマホで、クラシック音楽の、しかも作曲家を選んで聴くことができるアプリがあったので、興味が湧き、モーツァルトならと、一ヶ月500円也で、聴いてみたことがある。 中には、モーツァルトで聴いたこともないような曲が流れてきたりして、それは良かったのだが、どんな編集方針なのか、30分に一度は、あのK626... 続きをみる
このシリーズは、忘れていたわけではないが、ハイドンのことを書こうと思って、はたと行き詰まってしまい、放置している。 ハイドンについては、あまり思考を重ねているわけでもなく、また、その音楽も、モーツァルトの亜流を出ないのではないかという、わたしの中に根強くある、ハイドンについての偏見に、邪魔されてい... 続きをみる
おそらく、モーツァルトの中で、モーツァルの音楽をよく知らない人を含めて、もっとも知られている曲は、この曲であろう。わたし自身、クラシック音楽にのめり込む、最初の頃は、この曲に熱中したものである。 けれども、この曲は、クラシック音楽に詳しい人なら、誰でも知っていることなのだが、モーツァルトの作曲した... 続きをみる
このモーツァルトの最後のピアノ協奏曲は、わたしは、最初に、ベームとギレリスとウィーン・フィルのLPで聞いた。吉田秀和さんが推薦していたLP盤で、吉田さんはこのLP盤の演奏を、しきりに誉めていたが、わたし自身は、27番に関しては、なぜこうも、虚無的な演奏をするのだろうかと訝ったものだった。 このよう... 続きをみる
クラシック音楽史を見ていると、不思議だなと思うことがよくある。言うまでもなく、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンというように西洋音楽の伝統は流れて行くのであるが、これは、言わば後付けの、純粋な音楽史的解釈であって、この中で、実際に生前から認められていた音楽家はと訊ねると、まるで、様子が... 続きをみる
クレンペラーという指揮者は、この曲は、音楽が鳴っている箇所は、ほぼ一時間ほどであるから、レコード一枚分で宜しいと、音楽が鳴っていない箇所はすべて削って、レコード一枚にして、世に問うたそうである。 クレンペラーという人は、大指揮者で、この人がいたお陰で、確かNBCオーケストラという立派な交響楽団がで... 続きをみる
あるクラシック音楽番組で、ベートーヴェンの曲のランキングを、人気投票形式でやっていた。日本人は、相撲の番付のような伝統のある国のせいか、ランキングがともかく好きな国民である。 Excelには、さまざまな関数機能があるが、これは、その人の好きな関数や嫌いな関数に分かれるようである。わたしは、いずれも... 続きをみる
何でも、今年はベートーヴェン生誕250周年の年だそうで、ベートーヴェンに関する話題が多いそうである。 わたしは、ベートーヴェンのカルテットについては、不思議な聞き方をしたと思っている。先ず、いきなり、あの後期のカルテットを聴き、十五番のリディア旋法の箇所を除いて、まるで分からなかったこと。 それか... 続きをみる
吉田秀和は、この曲について、ある人の言ったことばとして「心はたしかに踊っている。ただ、それは喜びのためではない。」という文章を寄せている。 わたしには、これほど矛盾した性格が、何の苦渋も見せずに、自然と一丸となった曲は、他にまるでないように思える。無理に言ってみれば、明るい暗さ、軽快な重さ、死と同... 続きをみる
内田光子さんには、申し訳ないが、このモーツァルトの子供用の練習曲としてよく弾かれるピアノ・ソナタを、内田さんので初めて聴いたとき、思わず、笑ってしまったことがある。 その時は、内田さんについてよく知らず、国際的な評価を得ている日本を代表するモーツァルト弾きのピアニストであることは、後になって、よう... 続きをみる
この館クラシックを流しけり耳そばだてるモーツァルトや 色気ある女の居たり夏の道 ジージーと果てしなく鳴く夏の虫
内田光子のモーツァルトの演奏は、もっとも良く聴くCDの中の数十枚である。ピアノソナタやピアノ協奏曲の演奏は事あるごとに聴いている。わたしは、この人のモーツァルトのヴァイオリン・ソナタは一枚しか持っていないが、ズスケのヴァイオリン・ソナタより余程いい。 ズスケの方は、あのいつも真新しいモーツァルトが... 続きをみる
モーツァルトもっとも暗き388裏の世界を覗くがごとく 曼珠沙華悪魔と詠みし女かな 春は宵深く抉るはモネなりき
よどむことまるで知らざるモーツァルト夜想曲さへ日の当たるごと セザンヌや厳しき線をグラジオラス 祈りつつガンジーを描く滝の音
バッハはどこまでもまっすぐで超越的。 ベートーヴェンは入り組んでいて形而上的。 モーツァルトは全方向的で自然、そして、ときに無方向的。 モーツァルトの音楽の形容には、いつも、ピッタリとした言葉に欠ける。
音楽の父 バッハ 楽 聖 ベートーヴェン 両者とも、なんとよくそれぞれの性情を言い表した言葉だろう。 ただ、もう一人の大音楽家モーツァルトに関しては、どんな通称もはねのけてしまう。およそどのような形容も絶した音楽家であると言える。 こんな大芸術家は他にいない。
モーツァルトの音楽を語る者は、誰でもその自然さを言うが、モーツァルトの自然は西洋の中でも、特筆されるべき自然である。 これは比喩によって語るしかないが、例えば、日が翳り、それとともに心がそこはかとない憂いを帯びる。または、落葉の降りしきる中を、少女が無心に踊っている。そのような無垢な情を伴った自然... 続きをみる
病院の冷たきイスに一時間 この秋は追い詰められし五十代 あんなにも確かなる夢見し故にモーツァルトは若く死せりか
いずれとも選びわけせぬ道なれど今朝よりわれは両道をとる モーツァルトいくたび聴けど新たなる戦慄すべき明るいこころ 今日よりは新時代なる令和ON
第3楽章が有名なトルコ行進曲のピアノソナタであるが、わたしが注目したいのは、第1楽章のそれこそ出だしのところである。 とても単純で、きれいな旋律なのだが、わたしはここに、比喩になるが、何か異様なまるで大きく口を開けた怪物に吸い込まれていくような、または、底の知れない深淵をのぞき込んでいるような不安... 続きをみる
うつつなき世をたのもしと思ほはばマタイ受難を聴くことなかれ カラマゾフ十七の春炸裂す 暑き日の地下への降下罪と罰 真の実在というものに出会いたい それならモーツァルトのジュピターを聞き給え
日なた日陰小春日和の散歩道 眺め入る空には秋や信号待ち 部屋を出でずこころ散らかる日曜日 <無季> 寒風にひとり吹かれて帰り道 雷鳴やひとり過ごせる部屋に風 レクイエム聴くよしもがなかの日にはモーツァルトは死にたりければ 聴くも良し聞かずともよしレクイエムモーツァルトは生きたりければ
ゼルキン&アバドのモーツァルトのピアノ協奏曲集を聴き込んだ。ゼルキンは亡くなってしまったが、これが彼の最も良いモーツァルトの演奏となったようだ。ゼルキンはモーツァルトのピアノ協奏曲は弾くのだが、モーツァルトのピアノソナタの方はほとんど弾いていないようで、わたしは寡聞にして知らない。あんなにモーツァ... 続きをみる
名前は忘れたが、わたしの心の中で、良く思い出されるある女流作家の言葉がある。 「自分は、モーツァルトやベートーヴェンになれるような才能はない。だから、作家なんていう商売は辞めて、人生を楽しもうと決めたのだ。」と 人が自分で決めた人生のことだから、とやかくいう義理はないのだが、この言葉を聞いて何か釈... 続きをみる
モーツァルトがとても好きである。 K551「ジュピター」はわたしにとって、本当に啓示だった。最初にモーツァルトに本当にふれたその高校生当時、世の中にこれ以上の音楽はあるまい。いや、有り得ないと本気で信じていた。今でも、半ばそうである。ジュピターは、未だに、ある強い感情を伴わないでは聞くことができな... 続きをみる
わたしは、モーツァルトの「レクイエム」が好きでよく聞くという人が、信じられない人間である。先日も、モーツァルトの「レクイエム」が好きでよく聞いているという人に出会ったが、わたしは、この人はモーツァルトという人と音楽をまるで知らないなと心ひそかに思ったものである。 安藤美姫だったと覚えているが、「レ... 続きをみる
「ニーベルングの指輪」には驚嘆した。近年ない感動を味わった。この歳になって、こうした感動を得るとは、いや、音楽の世界はじつに広いと改めて感じ入った。 ワーグナーが好きで、ワグネリアンという人たちがいることは知っていたが、実際、その人たちの気持ちも分かるような気がした。音楽の表現力の、モーツァルトと... 続きをみる
シューリヒトの音 いったい、指揮者が変わるだけで、オーケストラの音は変わるのだろうかという根強い俗見があるが、その問いに答える目覚ましい実例が、シューリヒトであると言えると思う。シューリヒトが主に指揮した楽団は、パリ・オペラ座管弦楽団で、ヨーロッパでも一流のオケとは言えない。ウィーンフィルやベ... 続きをみる
現在、日本のピアニストで、こんなに見事にモーツァルトを弾きこなせる人は、彼女くらいだろうと思って、好んで聞いている。協奏曲のアルバムの謳い文句には、Greatという言葉が使ってあったが、その言葉を少しも裏切らない非常な出来映えである。モーツァルトのピアノソナタのCDも、実にいい。 それにしても、こ... 続きをみる
モーツァルトの父レオポルトは、自分の息子は天才に違いないと、モーツァルトがごく幼い頃から、その手紙を後世のために取って置くように家人たちに命じました。レオポルト亡き後も、その遺訓は守られ、わたしたちは現在、膨大な量のモーツァルトの手紙を読むことができます。けれども、その手紙は、モーツァルトの音楽の... 続きをみる
あまり、知られているとは言いがたいですが、日本を代表するピアニストです。 特に、モーツァルトの演奏に定評があります。この人のモーツァルトは、とてもよく聴いています。 2015年に描きました。
デンマークの哲学者キルケゴールの秀抜なモーツァルト論です。「音楽的エロスについて」という副題がついています。特に「ドン・ジョヴァンニ」を酷愛した筆者が、「石が語り始めようとする前に、私は語り始めなければならい。」と音楽について正確に語ることの不可能と、またその必然性とを表した有名な言葉で、モーツァ... 続きをみる
ずいぶん前から聴いている曲だが、このピアノソナタはリパッティの演奏が一番よいと思っている。だが、リパッティはモーツァルトのピアノソナタでは、この「K310」一曲しか残していない。早逝もあるが、なぜわざわざこの一曲なのだろうと、いろいろ想像を巡らしていた。 というのは、ショーペンハウアーが「意志と表... 続きをみる
ミケランジェリのピアノは輝かしい。それも表面だけピカピカ光る金メッキの輝きのそれではない。精神の内部から、放射される紛うことのない輝きである。同国のルネッサンス期のミケランジェロの描く赤ン坊が筋肉隆々としていて見る者を圧倒するように、ブラームスの曲がシューマンの曲が堂々たる風格と輝きを持った一流の... 続きをみる
前に、ビリー・ジョエルのポップスの迷惑だったことを書いたが、このことは、ベートーヴェンについてよく考えるときの糸口になるのではないかと心付いたので、ここに書いてみたい。 わたしはそのとき、「悲愴」の2楽章についてまったく無知であったから、ビリーの声が焼き付いてしまった訳だが、ベートーヴェンの曲は、... 続きをみる
ご存じの人も多いと思うが、ビリーがピアノソナタ「悲愴」の2楽章に歌詞をつけてアカペラで歌っているポップスがある。私はうかつなことに、ベートーヴェンの曲だと知らずに、友達に勧められて、ポップスも棄てたものじゃないなと何度も飽きるほど聴いた。学生時代のことである。 困ったのは、それからである。「悲愴」... 続きをみる
喜びはモーツァルトを聴くこと 時にふと誰かが聴いている モーツァルトの音楽に耳を澄ますことは 無上のよろこびである なんという絶対の新しさ なんという絶対の自然さ どこまでもつきぬける自由 流れ出して止まない無限のやさしさ きよらかな泉のようによどみを知らず溢れでる抒情 そうして 異様なまでの多様... 続きをみる
バッハの音楽は神に捧げられている ベートーヴェンの音楽は人類に捧げられている モーツァルトの音楽は言葉に窮する ハイドンの音楽は美のために スカルラッティの音楽は遊戯のために メンデルスゾーンの音楽は趣味のために シューベルトの音楽は心情のために ショパンの音楽は集う人のために シューマンの音楽は... 続きをみる
風にもまれ サクラは散り急ぐ 空を映した川に それは音符のように流れて行く 降りそそぐ花びらのその一つ一つの軽さを 川は 透明な裸体で受け止める 空は高く晴れ サクラは散り止まぬ その性急な凋落 遁走のアレグロ 死という最良の友を 連れて
モーツァルトの音楽は、極めて高い次元での両性具有が達成されている。しかも、官能性さえ損なわれていない。両性具有は、ハイドンの音楽でも共通の性格なのだが、人々を引きつけ、思わず一緒に歌いたくなるような繊細さや官能の点においてもう一つ欠ける。 仏像の形姿も男でも女でもない。やはり、両性具有である。ここ... 続きをみる