Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 働くということ 1 <隠居考>

現在、働くということは全き善として、考えられているようである。また、何故、皆が口を揃えたように働く事を、何もしない事よりも良いことと言うのか、わたしは少々、不審に思うのである。


こうした言い方をしてみるというのも、一度、働くということについて、とっくりとかんがえてみたいと思うからである。


少し長い文章になると思うが、まず、働く人とは、正反対の「隠居」ということばから、かんがえてみたい。この隠居という言葉が、現在、ほとんど死語となってしまっている事に、注目して欲しい。


江戸時代は、隠居の全盛期と言ってもよいが、この平和な時代が、単なる、平穏な時代相であったと、勘違いしてはならないので、大凶作はほぼ50年ごとに起こっているし、他の天災や大火事の数も夥しい。新興階級たる商人の勃興や、その消長、また、その他の階級の人々の浮き沈みもあり、内実は、決して安泰なものではなかったのである。


江戸幕府が、270年ほどの長きにもわたり、封建体制を維持できたというのも、ある意味で、不思議と言っても良いようなものさえあるのである。


隠居に話を戻すが、その江戸時代には、若くして隠居になることが、一種のブームになるような時期があり、当時で、三十になるかならぬ内、今で言えば、四十代の前半くらいであろうか、そのくらいの年齢に、社会からリタイアしてしまう人が多く居たのである。


三井が本格的に活躍する年齢が、50才からであり、日本全地図を成した伊能忠敬の年齢のことを、ここで、思い合わせてみれば、年齢層と社会とが、ほぼ連動して動く、今の日本社会、あるいは人を年齢に従って、一律に区切ろうとする、欧米を範とするような社会の方が、むしろ、不自然な形態である事が、思い当たるように思われる。


ともあれ、江戸時代の当時の人々にとっては、世の中で働き手となるより、さっさとリタイアして、隠居になった方が良いと考えた人が多くいたことは、注目すべき事柄である。


<続く>