エッセイ 魚にジビエはほとんどない
ジビエは、元々、フランス語だそうで、狩猟で得られた鳥獣を指す言葉だそうだから、無論、魚類もその中に入るだろうと思うが、ジビエということばは、まったく日本語化してしまっていると思えるので、表題のような言い方をさせてもらった。
いずれも家畜であるが、よく食べられる肉は、何と言っても、鶏、豚、牛であり、後、これも家畜であるが、羊を入れれば、ほとんど世界の食卓の肉を満たしてしまうことだろう。
日本は、海に囲まれた国だからということだけではなく、<そんなことを言えば、イギリスやイタリアも海に囲まれた国である>、世界的に見ても、魚を生で食べる文化が発達した極めてめずらしい国である。
現在、冷凍技術の発達や健康志向の高まりを受けて、世界中で生魚、多くはすしを食べる国が、急激に増えている。
それで、思うのであるが、何故、陸の食用の生物は家畜として飼い慣らされた、上記の限られた動物たちのみを好み、後は、ジビエとして差別するのか。
現代は、動物が、絞める現場を見せられることを極端に嫌う時代になったと言って良いようだが、これは、どうやら西洋伝来の文化的基準である。
魚を生で食べるようになった欧米人も、魚の活け作りには、拒否反応を示し、残酷だと言って、決して食べようとしない。
大型の哺乳動物を生で食う、北極圏の人々の文化を、眉を顰めて見ているし、日本の鯨漁に対しても、相変わらずの態度である。
何が、多様性と共感の世界であろうか。
そういう日本人にも、禁忌はまるでないようでいて、しっかりと愛玩動物は食べないという禁忌が守られているので、なんでも、ありという訳ではないのではあるが。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。