Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 毛筆考 <文化というもの>

昔の日本画には、とても繊細で、極細の線が描かれているのが、よく散見でき、日本画の肝と言って良い線なのだが、じつは、この極細の上品な線は、もう描けなくなってしまっていることを、ご存じだろうか?


この極細の線は、どのような工程を経て、描かれているかということからお話しすると。


まず、琵琶湖に生息しているクマネズミがいるのだが、このクマネズミがある時期になると大量発生する。


そのクマネズミが大事で、そのおよそ30匹の中から1匹ほどの確率で、白く長い毛が一本、ピンと生えている個体がいる。


その白く長い毛が重要で、それを、大量なクマネズミの中から、百本ほど抜き集め、それを纏めて、極細の線が描ける筆となるのである。


昔は、その大量発生するクマネズミを捕ることを生業としている人がいたのだが、今では、そうしたことを生業とする人はいなくなってしまったし、琵琶湖も昔のようなきれいさはない。


そうして、このネズミの30匹に1本しか見つからない毛なのだが、これは、その先端がとても精巧な作りになっていて、極細の線を描くのに、これしかないという毛で、人工的に作ることは今の技術では、不可能な毛だそうである。


昔ながらの極細で上品な日本画特有の線を、描きたいと願う人は、世界のネズミの毛を調べ、代替品を見つけようとしているのだが、うまくいかないそうである。


それも、どこにでもいる普通のクマネズミではダメで、昔のきれいな琵琶湖に生息していたクマネズミでなければ、この貴重な毛は、得られないそうである。


文化というものは、ある目立つような品、それだけを見ているだけではダメなので、色々なものが連動し合って、成り立っているものであることを、この極細の毛筆の毛は、象徴的に表しているように思う。


ただ、一昔前、濁流でしかなかった名古屋の庄内川が、今では、鮎が遡上するほどの、清流となった。


琵琶湖もそのように、再生する期があるのだろうか。しかし、そうなったときでも、クマネズミを扱える職人が現れるかどうかは不明であるが。