性 性を弄ぶというような、お盛んな人がいるが 逆であろう そういう人は、性に弄ばされているだけである エロスを軽んずる人の行き着く先は 人間不信である ○ 人生 人生を軽んずる人もまた 人生に弄ばされている人と言っていいのだろう ○ 人生が勝負だとすれば ゴッホは人生の勝者であ... 続きをみる
エッセイのブログ記事
エッセイ(ムラゴンブログ全体)-
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われわれが言葉をなおざりに使っているのは、普段何気なく使っている言葉を取り上げてみても、分かる 自覚、反省、平常心 これらは、その一つでも、本当の意味で身に付いたのなら、それだけでも、非常な影響を周囲に与えざるを得ないものである われわれは、如何に言葉だけの世界に生きているかの証拠でもある ... 続きをみる
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においに敏感な人は、往々にして、自分の放つにおいには気が付かないものである ○ 何気ない会話の折り、言葉の針で、一度は相手を刺さないと気が済まない人 悪い性格 ○ 宗教を生理的に嫌いだという人は、多くの場合、宗教的な素質を多量に持っているものである 絶対に対する強い憧れがあるか... 続きをみる
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俳句には、季語が必須だが、はじめて句作りをしようとする人がしがちなのは、季語の重なりであろう。 句の中で、季を表す言葉が二つ以上あると、どうしてもfatな印象を与える。季語は句の中で、一つのみという鉄則があるわけではないが、一つの方が、句がスッキリとして、焦点が定まりやすいという利点がある。 本に... 続きをみる
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<あるいは実験する自己> 自らを 近代文学で試し 中世文学で試し 音楽で試し 絵画で試し 哲学で試し 学問で試みる
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欧米 女を理解できない文化 日本 女を理解した文化 ○ 始末に悪いもの 女のおしゃべり ○ 善人の愚痴 ○ 悪女の惚気 ○ 性格の悪い善人 ○ 酔狂な禅僧
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宇治十帖が、始まる前に、「雲隠」と題した題名だけがあって、本文のない巻があるのは有名だが、式部もにくいことをするものだと思う。 本居宣長は、「紫文要領」の中で、光源氏を、いかにも深く「もののあはれ」を知った人として、「この上、誰が心の上に源氏の死のあはれを書こうぞ」と言っていて、その通りだと思うし... 続きをみる
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エッセイ 内田光子のモーツァルト 2 <ヴァイオリン・ソナタ>
内田光子のモーツァルトの演奏は、もっとも良く聴くCDの中の数十枚である。ピアノソナタやピアノ協奏曲の演奏は事あるごとに聴いている。わたしは、この人のモーツァルトのヴァイオリン・ソナタは一枚しか持っていないが、ズスケのヴァイオリン・ソナタより余程いい。 ズスケの方は、あのいつも真新しいモーツァルトが... 続きをみる
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翻訳家で、文学にも哲学にも強いという人は、ごく稀なようである。 例えば、ドストエフスキー訳で有名な米川正夫という人は、翻訳家としては、とても優秀なのだが、ドストエフスキーの作品の味読となると、カラマーゾフの兄弟のアリョーシャと白痴のムイシュキンとを同一視してしまったり、「ドストエフスキー研究」とい... 続きをみる
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「『須磨』を読まずに、源氏を語るな」とは、昔から、源氏物語について言われてきた忠告である。 この忠告を、わたしはこのように取る。「須磨」を経て、光源氏はいよいよ、女には手放せない男になったと。 有名な、雷が源氏のすぐそばの柱に落ちる場面は、非常な迫真力をもって書かれる。左遷された源氏が、尚も、試練... 続きをみる
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わたしは、懐旧の念に捕らわれる方ではない。昔の思い出は、いつも苦くわたしを刺し、何かをしていると紛れるのだが、頭に浮かぶ思い出は、いつも碌なものではないのを、自分ながら訝しく思うことがよくある。 わたしの人生の中で、一番ひどかったのは中学時代だが、これは書くに忍びないので、学生時代のことを、少し書... 続きをみる
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わたしは、ブログに「尊敬する芸術家」として、小林秀雄を挙げているが、これは嘘偽りのないことで、ほとんど毎日、小林秀雄のことをかんがえない日は、ないくらいなのである。 だが、わたしは小林秀雄の本は、「おすすめ本」の中には2つしか入れていない。それも、主著ではない。これには訳がある。 前の記事にも、書... 続きをみる
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わたしは夏になると、コカ・コーラにきな粉を入れて飲みます。 これがなかなか美味いんです。きな粉を入れると炭酸が出ますが、全部は出ません。かき混ぜて飲みますと、パンチがあって、それにきな粉は栄養の宝庫ですから、夏バテ解消にもなりますし、オススメですよ。 あるとき、とある喫茶店で、マスターにこの飲み方... 続きをみる
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この「天皇の世紀」は、わたしは高校生の時から読みはじめたのだが、今に至るまで未だに、読み終わっていない。昔、朝日文庫で出ているものを、全巻買って、読みはじめ、第1巻はなんなく読めた。(実は、第1巻だけで止めてしまう人が、多い本なのである。因みに、この本は全17巻あって、著者の病没のために、戊辰の役... 続きをみる
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「罪と罰」は、当時のロシアで大評判を取った、ドストエフスキーが一番成功した小説で、ドストエフスキーの中では、最も有名な、また題名だけでも、何かを暗示しているような感のある本なので、一度は読んでみようという気になる人が多く、実際、読まれているのだが、さて、最後まで読んで、あの強烈な感動を味わったとい... 続きをみる
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エッセイ 「ドン・キホーテ<前編・後編>」セルバンテス <読書経験> 2
<続き> そうして、振り返って思えば、どこにでもいるような平凡な田舎娘を、貴婦人のドゥルシネーアとして、ここまで思い詰めることができる男とは、本当の阿呆ではないかという思いがどこかで過る。本で頭を焼かれた男。まさしく作者セルバンテスの狙ったところであろう。 「ドン・キホーテ」に見られる、数々の滑稽... 続きをみる
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エッセイ 「ドン・キホーテ<前編・後編>」セルバンテス <読書経験> 1
わたしは、読んだ本は、いつ頃読んだのかよく憶えている方なのだが、この「ドン・キホーテ」については、何歳ころに読んだのかほとんど記憶がない。おそらく、学生時代に読んだと思うが、不思議と内容については、よく覚えている。 まず、岩波少年文庫版の抄訳の「ドン・キホーテ」を読み、だが、それでは「ドン・キホー... 続きをみる
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わたしの絵は、まったくの独学で、絵の先生についてあれこれ習ったということはまるでない。 高校生のとき、美術の授業で、「消しゴムも筆のつもりで描け」と教えられた限りである。わたしは指も筆代わりにしているから、これはわたしの独創かと思っていたら、ある本で、指で描く画家がいるということを知り、独創という... 続きをみる
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岩波少年文庫に入っている本であるが、少年文庫に入っているのが惜しいくらい内容が充実した本である。 わたしは、福永武彦という人は小説家であることだけは知っているが、他の本は読んだことがない。だからこれは、推測になってしまうのだが、おそらくこの著者の中で、最も良い本の一つだろうと勝手にかんがえている。... 続きをみる
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一時期、文学にせよ論文にせよ、翻訳で、一体何パーセントが伝わるのだろうということが、盛んに言われたことがあった。わたしは児戯に属する議論だと思っていたが、一口に言えば、伝わるものは伝わるし、伝わらないものは伝わらない。それで、少しも構わないではないかと思っている。 前掲した「神曲」にしても、原文は... 続きをみる
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わたしが読んだ中で、もっとも深刻な表現力を持っていると感じたのは、ダンテの「神曲」であった。もちろん翻訳ではあるが、言語表現とは、これほどまでに力強いものかと、舌を巻き、恐懼したものだった。 地獄篇の最初の方に、およそ2ページにわたるほどの長い比喩がある。地獄の空気が濃厚に漂う中、まるで一服の休息... 続きをみる
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本を百冊読み給え みんなどうかしていると思うだろう 本を千冊読み給え そういう考えもあるかと思うだろう 本を一万冊読み給え 自分というものに出会うことだろう ○ 実験音楽 音楽は実験ではない ○ およそ政治家で、嘘をついて口が曲がったのは、田中角栄くらいである これは貴重なことである
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新型コロナウイルスの感染者は減少傾向にあるが、第2波、第3波について危惧されているのが現状である。それも、もっともなことであるし、警戒は常に怠ってはならないと思う。 わたしはウイルスの専門家ではないので、常識的にかんがえるしかないのだが、極微のウイルスといえども、かたちを持った生物である、生物が変... 続きをみる
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世界中の人類に、これほどのダメージを与えることになった、コウモリか何かよく分からないが、その動物は、やはり霊獣、あるいは神獣と呼ぶのにふさわしい生き物だったように思う。 日本は、およそ何でも供養してきた国である。この無残に殺された、神獣の霊を鎮めるためにも、供養を執り行ってはどうであろうか。 どの... 続きをみる
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男は想像して嘘をつく 女は隠れて嘘をつく
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わたしは「おすすめ本」の中では、白水社イデー選書の本を薦めているが、それには理由がある。2001年5月に、岩波文庫で新訳が出て、当時、それに飛びつくようにして勇んで読んだのだが、まったく辟易してしまった。 ベルクソンは一体何を言いたかったのか、さっぱり分からない訳になっていた。苦労して、最後まで読... 続きをみる
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○ コロナウイルスは怖いが、人心の荒廃の方がもっと怖い ○ コロナ禍からの避難のために、田舎に引っ越す人が増えるのではないか ○ コロナ禍により気は滅入るが、顧みると、日々出会う少数の人との対応如何で、心が 一層滅入るか、それとも、それなりの心の状態でいられるかが別れるようである
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新型コロナウイルスの猛威は、これからも2、3年は見なければならないという見方が一般的だが、果たして、そうだろうかと思っている。 一つには、世界が、スペイン風邪のときよりも、往来がよほど繁くなっていること、よく言われるように世界が狭く小さくなっているということ。 それに、ウイルスの伝播の速度が、昔よ... 続きをみる
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「人間はどこでもいいが、どこか一つ行くところがなければ適わないものだ。」 これは「罪と罰」の中でマルメラードフという酔漢が、行きつけの飲み屋で、人に絡むときに、口癖にしている言葉である。 ドストエフスキーは、自身の重要な思想を、好んで変人や奇人の登場人物に喋らせる書き方をするのだが、これもその一つ... 続きをみる
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ピカソは本質を掴むのはうまいが、それを壊して表現しようとする ○ ピカソは模倣をすれば、誤る ○ これは、行き止まりの芸術である
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アメリカ人は英雄になるために フランス人は愛国のために イタリア人は女のために ドイツ人は規則のために 朝鮮人は自尊心のために 中国人は金のために 日本人は皆がしているために 一所懸命になる
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キリスト教は罪人のための イスラーム教は貧者のための 仏教は世捨て人のための 道教は隠者のための そして 儒教は世人のための だが、儒教は宗教ではない
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いつか、どなたかのブログ記事だったが、「小人閑居して不善を為す」という昔の言葉を引用されている記事があった。 よく、この言葉をご存知だなと感心したものだが、現在、みんなが「自粛」を強要され、自宅で、閑居する仕儀となってしまっている。 さて、わたし自身、小人に違いないから、何らかの不善をなしていると... 続きをみる
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民主主義とは理念ではなく、一つの政治形態として、留まるべきである。 ○ すべてが平等 この理念は言わば宗教であって、政治理念であるべきではない。 ○ 宗教がそうなり易いものであるように、絶対的な原理とすることは、避けるべきである。 ○ 日本の民主主義と欧米の民主主義とでは、... 続きをみる
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あるテレビ番組のお陰で、俳句が流行りだそうである。良い傾向だとは思っているが、さて、その番組は見ていない。わたし自身、俳句制作者の一人として見ていると、どうかと思うくらい独断的だからである。指導者的であるのと、切れ味が良い批評と褒め方という以上のものは、得られないようである。 だが、振り返って思え... 続きをみる
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バッハはどこまでもまっすぐで超越的。 ベートーヴェンは入り組んでいて形而上的。 モーツァルトは全方向的で自然、そして、ときに無方向的。 モーツァルトの音楽の形容には、いつも、ピッタリとした言葉に欠ける。
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雨の日の思い、どうしても湿りがち。 けれども、情趣はある。 ○ 男と女の心の綾 真剣になればなるほどすれ違う
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人について考えるときに、わたしは、この人は自分の軸を持っている人なのかどうかということが、よく気に掛かる。 作家であろうが、芸術家であろうが、会社員であろうが、男であろうが女であろうが、いいのだが、わたし自身の人間観というものを反省してみると、自分なりの軸を持っている人かどうかで、その人の言うこと... 続きをみる
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今、世界は有事である。戦争による有事ではなくて、ウイルスによるそれだが、こうした有事の際には、各人の心の秘めた内面があぶり出されるように、出現するものである。 落ち着いて堂々としている人かと思ったら、途端に、不安極まりない言辞を吐き出したり、自分は、周りには踊らされる人間ではないと日頃から言ってい... 続きをみる
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わたしは使うたびに感心してしまうのだが、電気湯沸かし器の小さめの「ロック解除<チャイルドロック>」ボタンと大きめの「給湯」ボタンを考えた人は、よほど、よく人間の行動というものを理解していた天才ではなかったかと思う。 ボタンの大きさというところだけに着目し、発売当初、子供が遊んでボタンを押し、ヤケド... 続きをみる
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命名行為は、人間にだけ与えられた能力だが、良い名を付けようと考え出せば、およそキリがなくなる、この命名という行為は、原初は無論定かならぬが、人間が何ものかに名付けようとしたときに、そのものの性質形状までをもしっかりと、表現できなければ、意味がなくなってしまうものだという意識を更新せずにはいなかった... 続きをみる
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このところ、気温の振り幅が驚くほど大きい。昨日の朝、0度近くだったかと思うと今日の昼は20度である。日本は季節の変わり目には、目まぐるしく気候や気温が変わるが、今まさにそんな時期である。 また、日本は湿潤な気候であるとも言われるが、空気がカラカラに乾く日が多いことも事実で、ともかく、気候においては... 続きをみる
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言語学者の間で、話し言葉と書き言葉との違いや優劣について、問題になることが多いが、わたしは、日本人的な感覚で、「読み言葉」なる言葉というものも提唱してみたいような気がする。 日本に初めて、漢字が渡ってきたとき、当時の日本人は、あの複雑な象形文字の漢字の羅列を見せられ、これが、ことばを記した文字とい... 続きをみる
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アイディア 自販機で白湯 <チェリオがとうとう発売してしまった>
自慢ではないが、わたしは二十年ほど前から、自販機で白湯というものを考えていた。 今日テレビを見ていたら、チェリオという会社が売り出したのを放送していた。現在は、試験的だろうが、都心の真ん中でも売れると思うので、ぜひやって欲しいと思っている。因みに、わたしの考えていた白湯の温度は、60度から50度だ... 続きをみる
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キリスト教について、あまり言われないネガティブな面がある。それは、キリスト教以前のヨーロッパの古代の歴史や伝統の息の根を、ほとんど途絶してしまったことである。 辛うじて生き残ったものに、古代ギリシア文化があるのだが。古代ギリシア文化と言っても、ギリシア文化と言えば、古代のそれがなければ始まらない。... 続きをみる
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「言質をとる」のに躍起な人がいる。これは前に言っていたことと違うではないかと相手の矛盾を突き難詰しようとする、少々、意地の悪い人々であるが、このことを最も得意とする人は、けれども、考えてみると、旦那に対する奥さんということになるのだろうか。それとも、国会で質問しようとする議員であろうか。 ともあれ... 続きをみる
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三島由紀夫はわたしの苦手な作家の一人であるが、三島事件については、確実に言えることがひとつあると考えている。 三島事件は考えるものではなく、感じるものだと。 そうしてその異様な感覚からは、日本人であるならば、誰も逃れられぬものだと。
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セザンヌの言葉によると、ゴーギャンやゴッホは、私の絵から勝手にプチ・サンスを盗んで画業を成した画家たちで、セザンヌと親しくしていた人は、彼らのことに話が及ぶと、セザンヌは憤懣やる方ないという様子を見せていたという。 本家のセザンヌに言わせれば、そういう言い方になるのも、もっともかも知れないが、その... 続きをみる
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書きことばと話しことばとでは、どちらが言語として優れているかという論が、文系の学生の間で盛んに話し合われたことがある。どう答えるかに拠って、その学生の教養の程度をも量ろうとする、一種、意地の悪い問いでもあった。 それなりの本を読んでいる学生は、話しことばと答え、また、われわれの時代は、それが正解と... 続きをみる
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音楽の父 バッハ 楽 聖 ベートーヴェン 両者とも、なんとよくそれぞれの性情を言い表した言葉だろう。 ただ、もう一人の大音楽家モーツァルトに関しては、どんな通称もはねのけてしまう。およそどのような形容も絶した音楽家であると言える。 こんな大芸術家は他にいない。
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宮沢賢治は、たとえ雑草と言えども、その名前をおろそかにせずに調べあげ、自分の詩の中に用いたと言われていて、実際その通りであったろうが、わたしには、賢治の情熱はない。 現代詩は、はっきりと抽象的であって良いと思っているからだが、もう一つの考えとして、「読み人知らず」の伝統を受け継ぎたいと思っているせ... 続きをみる
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日本は温暖な気候の国であるとは、誰が言い始めたことなのだろうか。 日本は、温暖な国どころではない。確かな文献によっても、夏は、日本人全体が夏バテするほど暑く、冬は、夏のままの格好で居たら、凍え死ぬほど寒い。 日本で、イスラーム文化のラマダーンに当たる、断食月が無いというのも、日本は、夏の暑さで自然... 続きをみる
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正確とは徳であろうか。 ○ 儒教思想では、正は八徳の中に数えられていない。 ○ 正確は、義や知から派生する性質と考えられると見て良い。 ○ 正は非常に大きな数を表す数詞の一つである。 ○ つまり、計算の中で活躍する言葉と見て良い。 ○ 計算は、どこまで行っても計... 続きをみる
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資本主義経済は、金銀に変わる貨幣として、紙を選んだが、これは、見事な応用問題の解き方だったと言って良いだろう。実質的な価値を持つ物体から、形而上的な信用を載せた紙幣への移行は、さしたる混乱もなく、滞りなく行われたようである。 そして、さらに時代は変わり、キャッシュレスの時代へと変貌しつつある。最初... 続きをみる
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東洋にはあるが、欧米にはない言葉として、代表的な言葉ではないかと思う。 これは、欧米諸国に君臨しているのは、Godであって、人間ではないということを如実に物語っている言葉として、考察に値する言葉ではないかと思う。 欧米諸国では、この世を支配するのはGodである。ここには、日本や東洋では窺い知れない... 続きをみる
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アランの「幸福論」は、簡潔で、また物事の急所をよく突いた文章が、散見できるのだが、その中でも圧巻なのが、人生の奥義とでも言うべきものを語るところであろう。 アランは言う。「人生の奥義とは、自分が本当に得たいと思っているものを欲することである。」と。アランは、続けてこう言う。「わたしが言うのは、本当... 続きをみる
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民主主義は人間を左右に分けるが、儒教はハッキリと君子と小人という具合に、人間を上下に分ける。これは何も、儒教に限らない。欧米ではエリットという考え方が厳然とある。古代では、神に選ばれしという意味だったが、貴族階級を生むのに必須の考え方であったことは、紛れようもない歴史事実である。 人格に優劣がある... 続きをみる
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中国は、一つのお国柄といっても良いくらいなのだが、国の方針に馴染まない言論を暴力で封殺する歴史事跡に事欠かない国である。 古代、秦の始皇帝の焚書坑儒に始まり、同時代の韓非子は、獄中で毒をおくられて自殺しているし、闊達で、進取の気性に満ちた漢の武帝でさえ、諫言した司馬遷は去勢され、明時代の李卓吾も異... 続きをみる
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アランは若い頃に、神経症を病んだ経験がある。その病いの最中に自ら軍役を志願し、自力で神経症を克服したという経歴の持ち主である。 「幸福論」の第一の特徴と言えるのは、非凡な文章力で、読者を、誰にでも覚えがあるような神経症的な症状に導いていって、そこから、どのように抜け出すのが最良なのかを、克明に描い... 続きをみる
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これは、わたしの言い方になるが、日本は、夏は東南アジア諸国並みに暑く、冬は北欧の冬並みに寒い。しかも、季節の変わり目は、日々の寒暖差は激しくなり、コンパクトに気温や気候は切り替わる。 季節ごとのメリハリは、とても強く、自然気象はダイナミックに動く。ただ、単に自然が厳しいというだけではなく、自然災害... 続きをみる
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「従軍慰安婦少女像」は、明らかな語義矛盾を侵している。婦人の「婦」と「少女」とが重なってしまっている。最初に作られた従軍慰安婦像は、史実通り婦人像だった。それが、いつの間にか、少女像に変わってしまったのだが、外向けの演出としてそうなったというところであろうか。 韓国では、また一頃、「偉大な普通の人... 続きをみる
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神経症は、一言で云えば、自分で自分の首を絞めるような病気に他ならない。けれども、そこから、人が立ち上がって見せるとき、どれだけ創造的な営為が為されるかは、非常なものがある。 自分で自分の首を絞めるとは、他の生物ではまったく見られない現象で、まことに人間的で、不具合な心の作用と言えるのだが、この神経... 続きをみる
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今の政治家の良く口にすることばだが、わたしはこのことばを、まるで信用していない。われわれは、良い政治を期待しているのであって、民意による分かりやすいなどというのは、二の次のことだと思っている。 これは、文章でも同じことが言えるのだが、分かり易くて良い文章というのは、天才的な才能を持った作家によるも... 続きをみる
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ホロヴィッツという名ピアニストは、ミスタッチは演奏の本質ではないということばを残している。これは色々と考えてみる余地のあることばで、今の世の中では、正確ということが、いつの間にか、何に増しての権威として君臨してしまっている。 およそ、ライブ演奏において、一音も音を外さないということなど、希有なこと... 続きをみる
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フランスのモラリスト、アランの「幸福論」は名高い本だが、文庫本で三百ページほどに過ぎないこの本は、じつに見事な観察眼や思考がぎっしりと詰まった本で、わたしは、十数回ほど読んだのだが、まだ、読み足りないと思っている。 例を挙げると、もうこの時代に、列車の車窓の眺めが素晴らしいことと、しかもその眺めは... 続きをみる
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不平家 不平家とは、周囲と折り合いの付かない人のことではなく、自分自身と折り合いの付かない人のことである。 ○ 世の中を数字として抽象する統計値に対しては、人々はあんなに従順なのに、何故、抽象絵画や抽象芸術に対しては、あんなにも不平を漏らすのだろうか。偏に科学という権威によるものだろう... 続きをみる
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トルストイの目というのは極めて格別で、詩人と行動家の両面を併せ持った人の目である。「戦争と平和」を読むと、人間をテキパキと区分けしていく実際家と、人間そのものに迫ろうとする詩人とが、そのまま同居している様が見て取れる。 通常の人間では、この相反する傾向は同居できないものだが、トルストイという偉人に... 続きをみる
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人は自分の世界観に従って、世界を見るものである。では、世界とは、本当のところ、どのようなものであるか、それを知っている人間など誰もいない。 ○ 「現実を見よ」とか「現実を直視せよ」とか、よく言われることばであるが、人が見ているのは、そのほとんどが数字である。売り上げ、赤字黒字、統計値、... 続きをみる
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女は子どもを残す 男はことばを残す ○ 中秋やいずこへ消えし知識人浅くて軽い今のインテリ
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モーツァルトの音楽を語る者は、誰でもその自然さを言うが、モーツァルトの自然は西洋の中でも、特筆されるべき自然である。 これは比喩によって語るしかないが、例えば、日が翳り、それとともに心がそこはかとない憂いを帯びる。または、落葉の降りしきる中を、少女が無心に踊っている。そのような無垢な情を伴った自然... 続きをみる
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民主主義政体下での論語 我々は小人として論語を読むべきである。少なくとも、君子面をして読むべきではない。 ○ 論語には、孔子がいつどこでどのように亡くなったかの記載がまるでない。これは、世界の大聖人の中では、珍しいことに属する。
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世の中をどう見るか。だいぶん以前、「世界認識の方法」という際どい題名の本を読んだ覚えがあるが、何が書かれてあったかさっぱり覚えていない。ただ、とてもつまらない本だったことだけは、よく覚えている。 世の中を一歩下がって見てみれば狂言芝居ならざるはなし
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理念とは、それを法令のように、人に押しつける筋合いのものではなく、常に自分の身の内にあって輻射熱のように、自分を限りなくたぎらせるものであることを、西郷ほど自ら実証した人はいないであろう。 理念は、理念という言葉を取る以前の分析のかなわぬ理想的な思想として、西郷に経験されていたであろう。「敬天愛人... 続きをみる
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平時にはあまり言われないが、有事の際に、よく言われる言葉がある。フランスのあるモラリストの言葉だが、こんな風な言葉である。 「戦争というのは、ある一部の好戦的な人間たちによって引き起こされるものではない。戦争が起こらざるを得ないのは、人生というものが戦いだからである。」 今は、平時だから、この言葉... 続きをみる
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わたしは、いつも疑問に思うことがある。自分の若いころはこんな暑い日はなかったという人が多いし、わたしもそのことは長く生きてきた者として、実感として持つ者だが、その自分たちの若いころというものが、偶々そうであったのではないかということを、言う人が居ないということである。 江戸時代、海岸線は今よりもず... 続きをみる
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毎年、この時期になると、先の大戦のことが各メディアで、繰り返し取り上げられ、盛んに報道され、書かれる。取り上げられることは、少しも悪いことではないし、盛んに論評されることも結構なことである。 けれども、その報道のされ方、論評のされ方に、わたしはいつもある不審な思いを持つ者である。戦争、特に、第二次... 続きをみる
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論語には、一見当たり前と見えて、じつに奥深い言葉がたくさんある。 「知るを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。これ知なり。」これほど当たり前なことはないが、これほど実践するのが難しい言葉もないくらいである。特に、若い人や知識の豊富な人には、守るのに難しい言葉である。 近代科学の祖、デカルトの思考... 続きをみる
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文大統領の言動がおかしくなって来た。政権末期の様相を呈している。あの発言では、保守勢力からの文批判、文下ろしは必至だろうし、韓国社会自体からも受け入れられまい。 韓国という国のトップは、世論を味方につけようと策動するような人物では務まらないので、漢江の奇跡を行って見せた朴正熙の当時、何故、軍事政権... 続きをみる
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ブリューゲルに、世界を自分の思い通りに動かせる人間が描かれている絵がある。じつに様々なタイプの人間が描かれた、ブリューゲルらしい、こまごまとしていながら、広い世界を感じさせる絵で、意外なことに、その独裁的な人間は、別の何でもないタイプの人間と同じ大きさで描かれている。傍らには、夫に隠れて不倫をする... 続きをみる
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人間は、四十や五十になれば、何でも良いが、およそ何かについての大家になっているものである。肯定的な意味のそれでも、否定的な意味ででも。 自分自身について思うのだが、わたしはそれについては、まるで何かの大家にはなっていない人間だと思っている。 日本という国は、自分は何者でもないという認識が可能な不思... 続きをみる
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最近、NHKで、綱吉を名君と持ちあげている番組があった。わたしの言い方で言えば、人物民主主義もここまで来たかと、呆れたものだった。 学問には、いわゆる学会というものがあり、歴史という学問にも、歴史学会というものがあるそうである。しかしながら、こうした学会というものが、理系の学会は別にして、後世に残... 続きをみる
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弱兵を抱えた勇将と弱将を頂く勇兵とでは、どちらが信頼するに値するか、これは、有名な政治論であるが、無論、リーダーがしっかりとしていなければ、勝算のある戦いにはならない。 トップが英邁であることは、その国に多大な利益をもたらす。これは、どの国でも変わらないことのようで、例えば朝鮮では、李氏朝鮮の時代... 続きをみる
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武家社会は、その名の通り、武士が世の中を支配した時代である。鎌倉時代から始まり、室町、戦国、安土桃山を経て、平和な江戸時代へと至り、その封建的な成熟を見たのは、ご存知のことと思う。 このことについて、わたしはよく思うのが、これは世界的に見ても、希有の出来事であって、国家というものの成熟という観点か... 続きをみる
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若者は、政治には無関心なもので、これは世界各国変わらない現象のようである。最近、香港でデモがあったが、政治的関心の強い若者が、政治をどうにかしようとすると、どうしても実力行使に出ることは、避けられないことのようである。 政治が残酷なものであることは、昔から変わらない。民主主義政体になったからと言っ... 続きをみる
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オーソリティ=権威は、元々、筆者を意味する言葉だったが、今はSNSの普及のお陰で、みんなが筆者となることが可能な時代となった。そうなると、現代は、何を権威として良いのか分からなくなってしまった時代と言っても良いだろう。 こういう時代は、我こそが権威だという人が多く現れるものでもあるし、また、過度に... 続きをみる
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梅雨だからというわけでもなく、ここ3,4ヶ月体調不良が続いていて、ブログの更新がままなりません。 お腹の具合が不良なんですが、お腹が不調だと頭の方にも良くない影響が出てくることを、改めて感じています。 ままならぬ腹の具合や梅雨半ば
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「安心」という言葉は、英語にはないそうである。従って、「安心」に類する安堵という言葉も同じくないと推測できる。 安堵は、本領が保証されてこその安堵であった。一所懸命(今では一生懸命になっているが)の言葉の出処は、この本領を死守するために、懸命になることだった。従って、本領を保証もされないのに、一所... 続きをみる
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ヨーロッパでは、こういうことが言われるそうである。 一人のイギリス人は俗物である。二人のイギリス人はスポーツをする。三人のイギリス人は大英帝国を作る。 一人のドイツ人はロマンチストである。二人のドイツ人は俗物である。三人のドイツ人は戦争をする。 日本人は、どうもドイツ人に似ているようである。
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最近、UPを怠ってしまった。体調不良も、少し関係しています。 書き留めていたものもないので、日頃、勝手に考えていることを少し書いてみたい。 カメラ キャノンのレンズは即物的 ニコンのレンズは明るくて自然 ソニー(ミノルタ)のレンズは癖がある オリンパスのレンズは繊細だが迫力に欠ける カメラはレンズ... 続きをみる
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科学は知の底辺に位置するものである ○ 科学は普遍性を持つが、科学という箱からは決して出られないものである ○ 箱を破り、知を広げようとするところで、知はローカルなものにならざるを得ない ○ 世界文学という言葉はあるが、世界哲学という言葉はないのである ○ ... 続きをみる
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今、テレビを見ていると、クラシック界で第一人者と呼ばれる人の変人ぶりを、見て興じるのが、流行りのようである。 クラシック界に限らず、その道での第一人者と呼ばれるような人には、大概、変わり者が多いようであるが、変わり者でも、二つに大別できるようである。誰かや、また何ものかを攻撃せずにはいられない変わ... 続きをみる
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英語で、「時間通り」は「on time」または「punctually」と言うそうだが、英語には、ほとんど無知なわたしだが、勝手に「on time」の方が、より強い表現だろうなと推測している。英語のonはスイッチのオンとオフで、すでに広く和製英語化しているが、いくら英語に疎いわたしでも、この前置詞o... 続きをみる
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江戸時代は、元禄文化をはじめとして、様々な文化が花開き、その妍を競いあった時代と言えるのだが、技術の面でも抜かりはないので、たたら製鉄技術や上総掘<かずさぼ>りなどはその代表的なものであろう。 日本の自動車が、世界中であんなにも評判が良く、故障が少なく、性能の良いものとして重宝されているというのも... 続きをみる
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「百聞は一見に如かず」は古来からのことわざだが、現代は、メディアの非常な発達によって、誰でも一見が可能となった。 現代では、特に、撮影技術が発達したので、未知であったことが、どんどん衆目にさらされ、誰もが、その撮影された現場の目撃者となり得る時代となった。 つまり、一見ばかりが溢れるという時代にな... 続きをみる
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ことばは、その生きているところを捉えなくては、意味を成さないものである。したがって、生き物と同じように、それが生き生きとしているか、ほとんど死んだも同然であるかは、大事な点となる。 辞書などの言葉が、どうしてもこちらの胸に響いてこないのは、ほとんど言わば、休眠状態にさせられた言葉の集まりで、詩人に... 続きをみる
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最近、俳句がとても人気である。理由は色々であろうが、この寡黙すぎる文芸が、注目を集めているのは、慶賀すべきことである。形式をしっかりと持ち、季を愛でる文芸であることが大きな要因のように思われるが、俳句が詩歌に間違いないことは、こと改めて言う必要はないであろう。ただ、俳句を現在のような形で、残してお... 続きをみる
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誰が、最初に言い出した言葉か知らないが、わたしは、この新語を聞くたびに、つよい嫌悪感を覚える。 先に言って置きたいが、この言葉は、自分というものとしっかりと真面目に向き合って来なかった者に、言われ始めた言葉である。この言葉の語感を、よくよく確かめて欲しい。 自分と真剣に向き合い、自分自身と懸命に戦... 続きをみる
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理念というものは、取り除けを許さない。言葉通りというのが、その本来の姿である。この理念を、日本史上、最初に行動に移した人間をかんがえてみると、信長に思い至ると思う。 信長という人間は、言葉数は少ないが、彼の下した命令は、絶対で、言葉通りであって、少しの取り除けも許さない。戦国の世にであったとしても... 続きをみる