Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 翻訳家という人

翻訳家で、文学にも哲学にも強いという人は、ごく稀なようである。


例えば、ドストエフスキー訳で有名な米川正夫という人は、翻訳家としては、とても優秀なのだが、ドストエフスキーの作品の味読となると、カラマーゾフの兄弟のアリョーシャと白痴のムイシュキンとを同一視してしまったり、「ドストエフスキー研究」という本が、個人のドストエフスキー全集の中にあって、米川正夫さんが書いているのだが、小林秀雄の論と比べては、気の毒かも知れないが、そもそも同日の談ではない。


一体に文庫で出ている翻訳者自身による、解説、解題というものは、福田恆存の解題を除いて、読んでも仕方のないものばかりが、大半といって良いくらいである。


昔は、オランダ語の通訳者のことを通詞と言ったが、通詞は専門を持ってはいけないとさえ言われていて、これは、現代でも通用している通訳者としての常識なのである。下手に専門的な学識があると、それに引かれてしまって、良い通訳ができないという事情があるのである。


であるから、通訳者は言語としてのニュアンスを伝えることに、もっとも敏感となり、他には手が回らない。これは、翻訳者でも、事情としては変わるところがないようである。


翻訳にも、ひどいものと良質なものが勿論あって、岩波文庫でさえ玉石混淆の状態なのが、現状である。


語学の習得には、相当な年月と努力とを必要とするが、例えば、フランス語ならフランス語の原文を読み、その本に感動したというような経験がなければ、一般的に言って、労して益のない仕事である。語学を職業としているような人や、今や、世界語になりつつある英語は別にしても。


本には、人それぞれの読み方というものはあろうが、文学的あるいは哲学的な素質というものはある。他の分野の素質についても、同じことが言える。自分の素質というものを、尋ねるためにも、できるだけ、色々な分野の良書を読むことをオススメしたい。