エッセイ 政治的関心ということ
若者は、政治には無関心なもので、これは世界各国変わらない現象のようである。最近、香港でデモがあったが、政治的関心の強い若者が、政治をどうにかしようとすると、どうしても実力行使に出ることは、避けられないことのようである。
政治が残酷なものであることは、昔から変わらない。民主主義政体になったからと言って、政治の残酷性が薄らぐものではない。政治は、無二の親友であっても、また、家族と言えども、ひとたび意見が違えば、骨肉の争いを演じてみせるものである。
アメリカは二大政党制を取っているが、共和党と民主党で、まとも議論がなされるのは、ほんのわずかの間であって、互いにネガティキャンペーンをしあったり、非難を応酬しあうのが常態である。議論は、共和党は共和党内の中だけで、また、民主党は民主党内だけの中で盛んで、支持する政党が違えば、口もききたくないというのが現状である。
政治への関心を若者たちに言うのは良い。だが、それと同じ程度に政治の残酷性について、言わないのは、片手落ちと言うものだろう。若者が血気盛んな人種であるのは、日本も香港も変わりはしない。日本でも、学生運動が盛んだったときを思い起こして見れば良い。
わたしは、政治という残酷な事柄からは、できるだけ距離を取っておきたいというのが、本音である。もちろん、政治がわれわれの生活の根幹を成す大事なものであることは重々承知しているつもりだが。わたしは持論として、政治的無関心を装いたいところである。
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