Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 西郷隆盛 <内なる理念>

理念というものは、取り除けを許さない。言葉通りというのが、その本来の姿である。この理念を、日本史上、最初に行動に移した人間をかんがえてみると、信長に思い至ると思う。


信長という人間は、言葉数は少ないが、彼の下した命令は、絶対で、言葉通りであって、少しの取り除けも許さない。戦国の世にであったとしても、信長が日本史上最大の殺戮者たらざるを得なかったのは、この理由に拠るところが大きいのではないか。


つまり、日本に最初に理念なるものを体現した男だとわたしは見ている。理念は、理念という言葉を取る以前に、信長の中で、深刻に経験されていたと思う。それが「叡山焼き討ち」「なで殺し」というそのままの各論として、まず、実践され、その後「天下布武」という総論としての言葉をとった。「天下静謐」という言葉を使う学者もいるが言葉はどちらでもかまわないようだ。彼は、思想家では、まったくなかったから、総論は、後人によって後付けされた。また、信長が、公家や室町幕府の長に対してとった態度を思い出して欲しい。「天下布武」とは、あくまで総論であって、理念ではない。


日本と諸外国との決定的な思想上の差は、思うに、思想は実践されなければ、意味を成さぬというだけではなく、思想は、理念というものまで昇華されなければ、本当の思想ではない。そこまで行かなくては承知しないという暗黙の了解が、近世以来、じつに根深くあるということではないかと、わたしは思っている。


これは、言わば、日本では信長のような行動家によって、理念が実践されたということが、非常に大きかったと見て良いのではなかろうか。その後の、秀吉、家康による政治上の大改革と大収拾は、信長の徹底した実践が、最初に行われていなくては適わぬものであったであろう。日本はそうした歴史を持っていたことは、注目すべきことだと思っている。


この大人物たちによる、言わば、行動上の思想のリレーは、時代は下り、明治期に至って、驚嘆すべき傑物たちを輩出する。その具体的な事例については、わたしより詳しい人が多くいる。


わたしは、それを西郷一人に絞ってかんがえてみたい。幾多の江戸末期から明治期にかけての傑物たちの中でも、もっともその人格を理解しがたい男であり、信長と同じく、軍人であり、行動家であり、言葉は少なく、その人格は、信長が求心的であるのに対し。遠心的である。信長にあっては、理念という両刃の刀は、はっきりと外に向けられ、その原初的ななまなましい形を取ったが、西郷は、それを言わば「内なる理念」として実践した最初の人だと、わたしは見るのである。近現代にあっては、理念はそうした形を取らざるを得ない。何が起こったか、一言で言えば、思想が内省されたのである。これは不可避の時代的要請である。言葉を提供したのは儒教であったが、事、西郷にあっては、キリスト教の本質的な思想さえ、その中に包含している。そのことについては、不手際ながら、別のエッセイに「武士道」として書いた。興味のある方は、そちらをご覧頂きたい。それで西郷の「敬天愛人」という言葉を、注意深く見てみたい。


「敬天」は儒教からの引用であり、その意味するところは瞭然であったであろうが、「愛人」という言葉を前にして、当時、笑い出さなかった人がいたであろうか。西郷が、こうした言葉を自分の理念として掲げた人間であるというそのことこそが、肝心な点なのである。現代でも、この言葉から、甘い夢を見る人も、多いことと思う。


西郷には、この男は、本当はバカ者ではないのかと思わせるような逸話がわんさとある。そうした事だけを集めて、西郷の本当の姿としている本もあるくらいである。煩瑣にわたるから略すが、このことは、西郷が、身をもって、理念というものを体現した人間だからこそ、起こらざるを得なかったというのが、わたしのかんがえである。


有名な「金もいらぬ。名もいらぬ。命もいらぬ。」という言葉もよく見てみよう。先の甘さは、この言葉によって、砕かれる。これは、理念的に磨き抜かれた行動家の思想であって、西郷自身の実践がなければ、意味を成さぬ思想である、と同時に、理念というものが、西郷の中で、いかによく吟味されたものであることかも、物語ってもいる。


先に、理念とは両刃の刀という比喩を使ったが、わたしとしては、単なる比喩という意味合いではないので、相手を切ったその刀が、そのまま自分自身に襲いかかるものであるという点で、取り扱いは、まことに細心の注意を払うべきものであるというのが、わたしの意見である。「内なる理念」という表現をしたのは、西郷においては、その理念という刀が、少しも人には向けられず、自己完結している様を、思い描いたとき、西郷について大きく自得するところがあったからである。


また、「敬天愛人」を理念と言ったのは、上記の意味なので、「愛」という言葉は、理念的に取るべきで、そうすれば、その言葉の裏に「死」が厳然と構えている様が、よく見えてくるだろう。


江戸城無血開城は、日本史上における、驚嘆すべき大輪の花である。この事跡のためには、
西郷の大人格が、必要不可欠なものだったことは、論を俟たない、というより、論を弄してはいけない。この理念的な事跡は、史上の大輪の花そのままの姿で、空前絶後のことであろう。


西郷の人格は、じつに量りがたい。うっかりしていれば、その大きさによって、丸め込まれてしまうものであるようだ。




あとがき


以上、書いてきたことは、仮説と取っていただいて、差し支えない。本音を言えば、わたしは、「理念」などという言葉は、大嫌いである。この出処もよく分からぬままに、現代人にさんざん良いように乱用され、弊害ばかり引き起こしている新語には、わたしは、嫌悪感を感じはしても、この言葉を、肯定的に使うなどとは、自分自身思いも寄らぬことだった。


ちなみに、信長はもとより、西郷さえ、どこを見渡しても「理念」なる言葉は、一言も使っていないということは明記しておきたいと思う。