エッセイ 原爆忌
原爆忌声なき声の聞こゆころ
二十代のときに作った句だが、歳時記で原爆忌の季節を調べたときに、秋の季語とされていることに、なるほどと思うとともに、季語に、平安への祈りにも似た思いが込められているのを感じ、心に沁みたことを覚えている。
原爆投下から、七十四年経ったそうだが、歳月は少しも、日本人の苦痛を和らげるのに足りないようである。アメリカは、未だに戦争終結のためには、必要な手段だったと口を拭っているし、原爆投下を指示したトルーマンや原爆を開発したオッペンハイマーを英雄視さえしている。そうしなければならないほど、悲惨な兵器だったことを裏返しに語っているようだ。
日本人は、ただ、黙って、そのことに耐えてきた。これは、じつに賢く健全な精神の在り方であって、われわれは、日々その精神を更新してきた。これからも、更新していくことだろう。
原爆についての、もっともらしい言は、みんな嘘らしく聞こえる。ただ、沈黙に耐える精神のみが、何事かを為し得るように思えてならない。
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