エッセイ 人生という戦い
平時にはあまり言われないが、有事の際に、よく言われる言葉がある。フランスのあるモラリストの言葉だが、こんな風な言葉である。
「戦争というのは、ある一部の好戦的な人間たちによって引き起こされるものではない。戦争が起こらざるを得ないのは、人生というものが戦いだからである。」
今は、平時だから、この言葉に得心のいく人は、少ないだろうが、わたしはこの言葉から感じ取れる、ある沈痛な確かさというものを思い、一つの真理として、かんがえて良いことばなのではないかと思っている。
誰も、平和を望まない者はいない。だが、人生は戦いであるという実相は、変わりはしない。理屈に合わないと言えば、理屈に合わない。けれども、誰が、理屈通りの人生を歩んでいるだろうか。
恒久平和は、カントの畢生の悲願であった。わたしは、よく、想像することがある。あの「永遠平和のために」という題名は、あるしょぼくれた居酒屋が廃業したしたときに、道端に投げ捨てられていた皮肉な看板名に由来するのである。弁証法という考え方が好きで、なによりも対立項の衝突を思ったヘーゲルという哲学者などは、このカントの書名を見て、大笑いしたのではないかと、よく想像するのである。
現今、核弾頭の出現によって、世界中で小競り合いは多いが、先の大戦並みの戦争は、事実上、人類の破滅を招くものになるに至っている。
恒久平和は、単なる皮肉では済まされなくなった。われわれは、カントによって拾われ、笑われるのも辞さず、このことばを書名に掲げた、彼の誠実な勇気を思うべきである。
たとえ、それが一つの真理に反しようとも。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。