閑話休題 語義矛盾と演出
「従軍慰安婦少女像」は、明らかな語義矛盾を侵している。婦人の「婦」と「少女」とが重なってしまっている。最初に作られた従軍慰安婦像は、史実通り婦人像だった。それが、いつの間にか、少女像に変わってしまったのだが、外向けの演出としてそうなったというところであろうか。
韓国では、また一頃、「偉大な普通の人々」という言い方が流行ったことがある。これは、慰安婦少女像ほどではないが、やはり、語義矛盾を侵している。語義矛盾を侵さなければ、表現できないものとは何か。これは、実際、韓国の人に聞いてみなければ分からないことかも知れない。
序でながら、アメリカの有名な硫黄島奪還時の戦勝記念像も、あれは演出である。本物の映像は貧困すぎたので、後から、見栄えが良いように撮り直したものを、像として刻んだものである。
これらのことには、他国とくに日本に対しては、何をどう言っても許されるというような心性が、強く感じられるところである。
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