Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 「罪と罰」を読む人達 <本を読むということ>

「罪と罰」は、当時のロシアで大評判を取った、ドストエフスキーが一番成功した小説で、ドストエフスキーの中では、最も有名な、また題名だけでも、何かを暗示しているような感のある本なので、一度は読んでみようという気になる人が多く、実際、読まれているのだが、さて、最後まで読んで、あの強烈な感動を味わったという人となると、あまりいないのが実情のようである。


わたしは、今までに四人ほど、「罪と罰」は読み出したのだが、途中で挫折したという人を知っているのだが、この皆さんは、いずれも教養の高い、読書好きと言っていい人たちだった。


自分自身振り返って、初めて、「罪と罰」を読んだ高校生のときのことを思い出すと、読んでいる間、非常に憂鬱な気分に捕らわれてしまったことを覚えている。まるで、濃い霧のかかったペテルスブルグの街を、殺人者の主人公ラスコーリニコフと一緒に彷徨っているような思いであった。読み終わって、強い感動は確かにあった。けれども、それがどこから来るものなのか、まるで分からなかったものである。


「罪と罰」が合わなかった人には、わたしは、「死の家の記録」を薦めることにしている。はじめの前書きを除けば、ドストエフスキーには珍しいくらい、確固とした写実性に貫かれている小説で、トルストイなどは「ドストエフスキーの『死の家の記録』は、さりげなく書かれた数ページが、今の作家の数百ページに値いする。なんとすばらしい本だろう。」と絶賛しているくらいである。「罪と罰」や他の後期の小説には、不感症だったが、この書だけは、二十回読んだという人にも、実際出会ったこともある。「罪と罰」とは違った意味で、非常な名作で、後期の作品群の種は、皆、ここにあると言っていい本である。


ただ、こういうこともある。「罪と罰」を中学生のときに読んで、つまらなかったので、罪と罰だけではなく、ロシア文学全体を、あれは、とてもつまらないものだと公言して憚らない高校の国語の先生がいたものである。この人は、決して文学的センスのない人ではなかった。ヘミングウェイの「老人と海」などは、あれは良い小説だと、互いに共感を分かち合ったもので、読んだ時期と読み方がいけなかったのである。


さらに、こういうこともある。小林秀雄の「罪と罰について」を読んで、「罪と罰」を読んだ気になり、当の「罪と罰」を読んでいない高校の同級生がいたものである。「君は、「罪と罰」を読んだのか。」と聞くと、「いや、読んでいない。でも、小林の論を読まないでは、「罪と罰」を読んだことにならない。」と彼は真顔で言ったものである。わたしは呆気にとられてしまったが、小林の功罪と言っていいものだったろう。わたしは、このとき、小林秀雄など全然知らなかったのである。


「罪と罰」、またドストエフスキーの特に後期の作品は、読み方のむずかしい本であることは確かなようで、わたしはあるとき、地下鉄のホームで、図書館から借りたであろうドストエフスキーの本を、袋一杯に詰めて持っている、若い中学生くらいの人を見たことがあるが、その髪は乱れて、朝起きて顔もろくに洗っていないような、だらしのない様子を、傍らで眺めながら、なんとも言えない気持ちになってしまったものである。


わたしは、「罪と罰」は、時期はまちまちであるが、四回ほど読んだ。そうしてはじめて、まるで長い絵巻物でも見るように、「罪と罰」が眼前に広がって見え、ラスコーリニコフという、この小説を背骨で支えている、不思議な人格のいわば実在性とでもいうべきものを、納得し得たという経験があり、小林秀雄の論考も、与って力があったのは告白しなければならないだろうが、ともかくも、読むのに、忍耐と努力と複雑な思考を要する色々な意味で、むずかしい本なのである。


そうであるから、わたしははじめて、ドストエフスキーを読もうというような人には、まず「死の家の記録」を薦めることにしている。わたしが「罪と罰」を薦めて、最後まで読んだという人もいたが、この人は、わたしにはなんの相談もなく、次に「地下室の手記」を読み出し、勝手に自己嫌悪に陥ってしまっていたものである。


しっかりと本を読むということは、確かにそれだけでも、なかなかどうして厄介で、かなりの忍耐と努力を要する、言ってみれば、本格的な仕事なのである。