Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 「天皇の世紀」大佛次郎 文春文庫のこと

この「天皇の世紀」は、わたしは高校生の時から読みはじめたのだが、今に至るまで未だに、読み終わっていない。昔、朝日文庫で出ているものを、全巻買って、読みはじめ、第1巻はなんなく読めた。(実は、第1巻だけで止めてしまう人が、多い本なのである。因みに、この本は全17巻あって、著者の病没のために、戊辰の役で絶筆となっている。)


そうして、第2巻目から、巻が進むごとに、当時の歴史資料が、そのまま載せられて来るようになり、だんだんだんだん読み難くなる。第12巻まで、なんとか付いて行ったのだが、なにしろ、歴史資料を、そのままを載せているので、巻を追うごとに2ページに1、2回は読めない漢字が出て来るようになる。ルビさえ振られていない。難解な読み辛い資料には、注も何もない。


新しく、文春文庫で出たものを確かめてみたが、少し行間が広がり、読み易い体裁にはなっていたが、中身はやはり、当時のままなので、買うことを諦めてしまった。


この書は、江戸末期から明治期に至る、日本史上空前の歴史の大きなうねりが、細大漏らさず、描かれているもので、本当の歴史というものの重量感が、圧倒的に迫ってくる、じつに得難い本なのである。


わたしは、幕末から明治期にかけての歴史小説は、司馬遼太郎のものより、この大佛次郎の「天皇の世紀」の方が、格段に優れているとかんがえている者だが、一体、編集者達の編集方針はどうなっているのかと思ってしまうのである。


吉田松陰や福沢勇吉などは、その人物像が、じつに鮮やかに浮かび上がるもので、この時期の、他の幾多の傑物、群像達も、とても見事に描かれる。いや、描かれるというより、例えば、司馬史観と言われるような、余計な私史観というものがないのである。


膨大な文献資料が、著者によって、徹底的に取捨選択され、これは確実で重要という資料しか載せられていない。歴史資料が両者、相矛盾して並び立っていてもかまわない。そのまま提示してくれるというのに、文体に乱れはない。これほど歴史家として、無私に徹して、この時期を描いて見せた歴史書は、管見ながら、わたしは他に知らないのである。


編集者達に、ぜひお願いしたいのだが、せめて難解な漢字には、ルビだけでも振って欲しい。そうして、難解な資料については、その便概だけでも、注にして入れて置いて欲しい。


これほど立派な、近年、類のない歴史書を、今のままで放っておくのは、じつにもったいない話ではないだろうか。