Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ トルストイ「戦争と平和」考

トルストイの目というのは極めて格別で、詩人と行動家の両面を併せ持った人の目である。「戦争と平和」を読むと、人間をテキパキと区分けしていく実際家と、人間そのものに迫ろうとする詩人とが、そのまま同居している様が見て取れる。


通常の人間では、この相反する傾向は同居できないものだが、トルストイという偉人においては、見事に一つとなって、読者に迫る。トルストイを読む面白さは、この両者が何の妥協もなく調和していることの不思議さだろう。


その意味で、トルストイの目は、余人の目を遙かに抜いていて、どの小説を読んでも、トルストイその人の目に超越的に収斂していく。そのために、トルストイの小説を読む人は、その超越的な点を押さえれば良いので、退屈だという人が多いのも事実である。


だが、この矛盾を知らぬ明るい目は、晩年になるに従って、異常な相克を持った人間として、自分自身を経験しなければならなかった。そうなのである。八十歳にして、十歳の少女の膝の上で、泣き叫ぶことを求める正直極まりない人間。トルストイのこの矛盾は、人間存在そのものの矛盾という大きさを持っているのである。トルストイが王としての素質を持った人間であるのも、その人間としての桁外れのスケールの大きさに拠る。


晩年の「復活」に至っては、あるなんでもない普通の堕落した人間を、なんの説明もなく、いきなり道徳心に満ちた人間として描き、小説としての枠さえ、壊してしまっている。これは、トルストイだからこそ説得力を持つとしか言いようのない描き様であって、確かに芸術を否定した人の手になる小説である。わたしが「おすすめ本」の中に、この小説を入れていないのは、その芸術観の異様な逸脱性によるものである。