Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 時間通りということ

英語で、「時間通り」は「on time」または「punctually」と言うそうだが、英語には、ほとんど無知なわたしだが、勝手に「on time」の方が、より強い表現だろうなと推測している。英語のonはスイッチのオンとオフで、すでに広く和製英語化しているが、いくら英語に疎いわたしでも、この前置詞onが英語の前置詞の中でも、特に強い意味を持った語であることくらいは、承知している。


英語のonは、中学英語で最初に習う「~の上に」という意味では、まったく不十分で、「~にピッタリと付いて離れない」という意味にした方が、より良い日本語の解だそうである。だから、on timeは、そのまま直訳すれば、「時間にピッタリと付いて離れない」、正しく「時間通り」という意味になるようである。


ところで、わが日本を振り返ってみると、このon timeそのままの「時間通り」が、ごく通常のこととして励行されていることに、嫌でも、気付かされる。


ある欧米人が、日本の鉄道の駅に来て、電光掲示板が分単位まで、時刻を掲示されているのを見て、ナンセンスだと笑っていたのだが、その通りの時間に電車がやって来て、呆気にとられたという話を聞いたことがある。


知人から聞いた話だが、ある私立図書館に勤めていたとき、通勤バスが渋滞で若干遅れて、開館時刻に30秒に合わなかったことがあったそうだが、待っていた利用者に、さんざん文句を言われ、上司にまで通報されたことがあったということである。30秒の遅延などは、まだ、かわいい方なのかもしれない、知り合いのバスの運転手から聞いた話なのだが、発車時刻が5秒早かったという理由で、そのバス会社に通報され、叱責を受けた運転手がいたという。現在では、じつに精密な路線運行記録があるので、例え、乗車客がまったくいない状況であったとしても、たった5秒とする訳にはいかないのだそうである。


公共交通機関はもとより、公共放送となるとさらに精度が増す。民間の会社でも、ほんの数秒、会議に遅れただけでも、ルーズのレッテルを貼られるところもある。古い話だが、登校時間までに、数秒間に合わなかったことで、女子高生が、校門に挟まれて死んだ校門圧死事件があった。その当時の校長は、謝罪はまったくせず、「あと5分、または10分その女子生徒が早目に学校に来ていたら、こんな悲惨な事件は起こらなかっただろう」という論法で、生徒に訓戒を垂れ、世間もその論法に敢えて抗おうとはしなかったという時代があったが、少しも前時代のことではなく、今でも、その論法で通用してしまうような時代であるようだ。


広く見て、日本人はどう斟酌しても、いわば、時間神経症とでも言うべきものに、ほぼ全員が罹患してしまっているとかんがえても差し支えないのではなかろうか。


人に迷惑をかけると云うが、われわれの通常の感覚として、秒単位を云わなければならないのは、自動車、自転車等の凶器となり得るような物と人との接触事故等を除けば、そのほとんどが、心理的な迷惑であって、待つ時間は誰にとっても、長いものである。人と人との間で、数秒若しくは、数十秒ほどの遅延で、文句を言われなければならないという社会は、やはり、社会の方がどうかしているのではないかとかんがえる方が理に適っていると思うのだが。


日本では、時間通りというのが強固な理念となっている。この傾向はいよいよ研ぎ澄まされる方向に、向かっているようである。