エッセイ ベルクソン「時間と自由」の訳について
わたしは「おすすめ本」の中では、白水社イデー選書の本を薦めているが、それには理由がある。2001年5月に、岩波文庫で新訳が出て、当時、それに飛びつくようにして勇んで読んだのだが、まったく辟易してしまった。
ベルクソンは一体何を言いたかったのか、さっぱり分からない訳になっていた。苦労して、最後まで読んだのだが、何の感興も湧かなかった。
おそらく、個々の文章は訳として正しい訳なのだろうが(その文章にしても、意味不明な文章が多く散見されたものだが)、「木を見て、森を見ず」の典型例のような文章と言って良かった。
それで、人に薦めるときは、白水社のイデー選書と念を押すのだが、岩波文庫の方が、圧倒的に知名度があるので、皆、買うときはそちらを選んでしまう。
岩波書店ともあろう書店が、何故、この訳をいつまでも採用しているのか、まったく解せない。
ベルクソンの著作は、確かに難解だが、難解とわけが分からないとは、根本的に違うことである。この書の後半、自己自身に分析的メスを、冷静に入れていくところなどは、凡百の哲学書を凌駕する、痛切な感情を催す箇所であるが、この訳書からは、微塵もそのような感情を抱けなかった。
これでは、漱石が「美しい哲学書」と嘆賞した、この書の味わいはまったく感じられない本となってしまっている。訳者に、全面的な改訂を要求すべき訳本である。
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