エッセイ ミスタッチ
ホロヴィッツという名ピアニストは、ミスタッチは演奏の本質ではないということばを残している。これは色々と考えてみる余地のあることばで、今の世の中では、正確ということが、いつの間にか、何に増しての権威として君臨してしまっている。
およそ、ライブ演奏において、一音も音を外さないということなど、希有なことに属するが、演奏家の中には、正確に弾くには弾くが、一向こちらの胸に響いてこない演奏がいくらでもある。
ホロヴィッツの音は、ピアノの前に座る姿勢までもが端正な、どれも見事に磨き抜かれ、研ぎ澄まされた、一音一音に命が籠もっているという演奏で、少しくらいのミスタッチがあってもまるで気にならない。人間は、機械的な正確さには、どこかで飽きが来るものである。
AIがいくら発達しようとこの人間的な原則は変わらないだろうと思う。
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