エッセイ 「十二支考」南方熊楠 岩波文庫
この本については、わたしはまだ、「子」の章しか読んでいないので、「おすすめ本」の中に入れるのは、気が引けるが、一応、わたしなりの理由とともに、この本を取り上げることについて語ってみたい。
南方熊楠の著作は、どれも本格的な学術書であって、いわゆる、一般読者層を対象とした読み物とは、まるで違うことを、断って置かなければなるまい。
この「十二支考」は、それでも、そうした学術的な本しか書かなかった南方が、生活の足しにと、筆を執った南方の中では、めずらしい方に属する書である。
じつは、わたしは、十二支については特別な関心があって、本当に本格的な十二支についてのことを、知りたいと思っていたので、この本は著者が南方熊楠ということもあって、喜び勇んで、読みだしたものである。
わたしは、十二支の中でも、個人的に特に、丑について知りたかったのだが、南方の「十二支考」では、このわたしにとって肝心な丑の章が、欠けていた。
何でも、関東大震災があって、それで丑の章はなくなったという説明が、載っていた。関東大震災は調べてみると、大正十二年の亥年で、それで何故、丑が欠けるのか分からなかったが。
わたし自身としては、一番知りたい丑が欠けていたこともあり、また、この「十二支考」自体が、あまりにも学術的であったために、興味の大半が、削がれてしまった。
また、個人的に知りたかった丑の章が欠けていたことも、何か、故知らぬ符号のようなものを感じ、これは、負のシンクロニシティではないかと、怪しんだことも一因だった。
こうしたことは、わたしの読書経験の中では、めずらしいことであり、それで、南方熊楠の著作は、敬して避けるようにと、だんだんになっていった。
ただ、このわたしの文章を読んで頂いている、読者の皆さんには、わたしの事情は、与り知らぬことであろうと思う。
わたしは、少しばかり、囓っただけであるが、じつに本格的な十二支についての著作である。興味のある方は、どうぞ、ご一読を。
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