エッセイ 小倉百人一首考2 <秋の田の>
秋の田の刈り穂の庵の苫をあらみわが衣手は露に濡れつつ
巻頭第一の天智天皇の御歌であるが、ある小倉百人一首の本を読んでいたら、この田の刈り番をする歌は、身分の低い農民の歌だとする解に出会った。
わたしは、この解にはまったく不審であった。大岡信の恋歌とする解も頂けなかったが、良い所まで、行っている解なのにと思わざるを得なかった。
先ず、この歌自体の調子にしてからが、「の」音の連続する、こうした繊細さと力強さが一体となっているような歌が、朴訥な万葉集などに見られる農民の歌とは、懸け離れたものであるし、歌の中にはわざわざ衣手と歌い込まれている。
当時の農民が、衣手などという、衣の余った贅沢な袖を持った衣服などを着ている訳がない。
どうしても、これは貴人の歌に違いがないとわたしは見る。それに天智天皇の作とされているのを疑う道理もなかろう。
思うに、何かの事情か、あるいは天皇自らが進んでか、天智天皇が田の刈り番をすることになった。そのときの心境を詠んだ歌だと、どうして素直に取れないものだろうかと思う。
秋の田の実った稲の収穫するためには、下々の者たちは、かくも辛い仕事をしていることかと思い、涙した歌と取って少しも悪くはなかろうし、その方がずっと自然であるように思う。
持統天皇が、深窓の女性だからだったと言って、男の天皇もそうであったとする方が、取って付けたような解に思われてならない。
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