Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ ベートーヴェンの音楽を聴く人たち

生誕250周年ということで、何かと、ベートーヴェンについての催しがあるそうだが、わたしも、それに乗っかる形で、ベートーヴェンについてのかんがえを、少し纏めてみたいような気持ちになったりする。


クラシック音楽の愛好家でなければ、まず、ベートーヴェンの音楽を、全曲聴いたという人は、居ないだろうと思うし、ベートーヴェンの音楽の不思議なところは、ある曲の部分部分が、とても簡潔に充実していて、その虜になってしまうと、他の箇所を聴いてみようという気が、不思議なくらい起こらなくなることである。


年末の第九の合唱は、もう、とっくにお馴染みになってしまっているが、さて果たして、この第九を、最初から最後まで聴き通したという人は、どのくらい居るだろうか。毎年、この曲の合唱部分だけを歌っている人にだけ、聴いてみても良いくらいなのだが。


大学時代、合唱部に入っていた友人で、第九は第三楽章の終わりまで寝ていて、第四楽章になってから、はじめて起きて、歌い出すという人がいた。この人は、別段変わり者ではなかったのだが。ベートーヴェンは、どんな風に人々に受容されているかの実態と言って良いものである。


第五のテーマは、誰でも知っているが、あれは、勝利の曲なんだよと言ってやると、怪訝そうな顔をしてこちらを見る人がほとんどである。あの暗過ぎる音型が、どうして、勝利の歌になどになるのかと想像もつかないようなのである。実際、音楽では、高らかに勝利宣言されているというのに。他でもない。交響曲の中でも短い曲なのに、全曲聴き通した人が少ないのである。


こんな風に書いていくと、キリがないから止めるが、例えば、ピアノならベートーヴェンの「月光」しか聴かないとか、また、ベートーヴェンの交響曲なら、あだ名が付いたものか、またベト七くらいしか聴かないという人は、結構、多くいるものなのである。


そうなるというのも、ベートーヴェンという音楽家が、音楽を、およそ一息の動機となるほどにまで、絞りに絞り上げ、そこから、曲を生み出すという離れ業に、恐ろしく長けた音楽家だったこと、また、その一息の動機そのものが、あまりにも充溢した音型だったことにも拠るのだろうと、わたしはかんがえている者である。